(旧・山内北村)忠功碑 〔黒田寛太郎君功徳碑〕

  広島県庄原市川手町庄原市北自治振興センターに建立されている「(旧・山内北村)忠功碑」です。
※題は忠功碑ですが、碑文に「黒田寛太郎君功徳碑」とあります。
※現在の庄原市北自治振興センターの地は、旧山内北村の役場があった処です。
※この忠功碑は明治43(1910)年11月に市場三社ヶ段に建立されましたが、(忠魂碑建立時に)この地に移設され建立されたそうです。〔(庄原市北自治振興区)市場自治会生涯学習部の資料参照〕
正面: 忠功碑
-碑文-
裏面: 明治四拾三年拾一月
    山内北村斯民會建之
黒田寛太郎君功徳碑で始まる碑文を読み解くことはわたしの国語力では無理でしたが、・・・耕■栽培などで、従軍や戦争に関する言葉がないようなので、いわゆる忠魂碑のような石碑ではないと考えました。
裏面をみると、斯民會が建立したことがわかりました。
斯民會(しみんかい):
報徳主義を指導精神とし、〈勤倹力行〉〈分度推譲〉(分度は二宮尊徳の創始した仕法上の用語で分限度合の意)などの諸徳目を道徳と経済の調和というスローガンに組み入れて、資本主義の発展によって動揺した農村共同体秩序を再編するための地方改良運動の推進母体となった。
斯民会を行政単位につくり、地方における実践団体とした。
青年会の組織化と町村会の育成にも力を注ぎ、1916(大正5)年に中央報徳会青年部をつくり、大日本連合青年団と財団法人日本青年会を設立。1921(大正10)年には全国町村会を結成した。
報徳主義
二宮尊徳(1787-1856)の根本思想で、人は天・地・人の徳に報いるために、自ら徳行を実践しなければならないとの考え。
勤倹力行(きんけんりっこう)
よく働き、つつましい生活をし、何事にも精一杯努力すること。
分度推譲(ぶんどすいじょう)
収入に応じた一定の基準(分度)を決めて、その範囲内で生活することが必要。
推譲:将来に向けて、生活の中で余ったお金を家族や子孫のために貯めておくこと(自譲)。 また、他人や社会のために譲ること(他譲)。
(戦前の)青年団(会)
日清・日露戦争時の後援奉仕活動によりすでに官僚・軍部の注目するところとなっていた青年会は、この運動の過程で内務省の指導が本格化し、初期の自主的活動からしだいに国家目的に沿った修養と奉仕の活動中心へと変質していった。
今(2022)年盆休暇で帰ってきた息子が行きたいところに連れて行くと云ってくれたので、庄原市に建立されている原爆関連の慰霊碑と庄原出身の倉田百三関連の石碑などを訪ねてみたいと頼んだのです。
NETを見て知った(旧・山内北村)忠魂碑を撮影に行ったのです。
その時、大きな忠魂碑の横に建立されていたここで取り上げた小ぶりな「忠功碑」でした。
碑文をみると「黒田寛太郎君功徳碑」であるとありました。そしてこの碑の方が先に建立されていることをがわかりましたが、別の場所に建立されていたこの碑を忠魂碑を建立した時、この地に移し建立されたことを自治会の生涯学習資料で知りました。
22.010.06..裕・記編集

22.08.14.撮影
庄原市川手町1543 庄原市北自治振興センターの北隣

22.08.14.撮影
大正15年建立の忠魂碑      明治43年建立の忠功碑

22.08.14.撮影
碑功忠

22.08.14.撮影

22.08.14.撮影 

22.08.14.撮影

22.08.14.撮影



「広島ゆかりの人たちの石碑など」編



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