権現山 毘沙門堂
  安佐南区緑井に建てられている「権現山(ごんげんざん)毘沙門堂」です。
※広島新四国八十八ヶ所霊場第十九番です。
権現山・毘沙門堂は、広島県真言宗教団のお寺で、本尊は毘沙門天王です。
    岩谷権現山毘沙門天堂縁起  昭和45(1970)年初寅建之
本尊毘沙門天王は、多聞天と訳し、佛法の護法神四天王の一尊にて、北方を守り賜う。佛教日本伝来と共に伝わり、七福神の中に加えられ福徳除災の神として庶民の信仰を受けられる。当山御本尊は行基菩薩の作と伝わり、治暦元(1065)年僧教尊この霊山に安置す。其の後、銀山城主・武田家代々の北方守護神として尊信し、僧覚信坊を請し願成寺を建立、更に三京・豊用・西明・東明・光林・玄道・神宮の七ヶ寺を建立される。
毛利氏広島城築城と共に、願成寺は広島に移され、毘沙門堂、仁王門、東明・西明の両寺のみ残れり。
一千年の歴史を物語る如く聖観音像、福石、縁結び岩・修行大師尊像等現存し、信仰を集む。
昭和40年代当地信者の発願により、吉祥天・六福神石像を奉安す。福授、開運、除災祈願の霊地として信者の尊崇深く、毎年陰暦正月初寅の日を縁日として大祭を修行す。
現在の本堂は、(江戸時代からあっての古さではないな〜とわたしは思ったのです。)佐東公民館の資料によると、1988(昭和63)年焼失(放火と云われているようです)して、1990(平成2)年に再建されたものだそうです。
2014年8月19日深夜から20日未明にかけて局地的な豪雨で、安佐南区緑井地区八木地区でも複数の土砂崩れが起き多くの方々を飲み込んでしまいました。
8月28日中國新聞の報道で
毘沙門堂では本堂に面する山が崩れ直径≒3mの巨岩や大量の土砂、流木が直撃し柱が折れ、天井絵や白壁が泥まみれになりました。境内の休憩所や堂務所なども土砂が堆積しています。
住職はおらず、管理は22人の総代が担っており、中野悦夫総代長によると「本尊の毘沙門天は堂内の金庫に保管してあり無事でしたが、言葉にならない被害ですが、地域のためにも復興しないといけない」と話していた。
』という事を知りましたので、追記しました。
以前資料で、境内に原爆死没者慰霊塔として建立されている多宝塔がありますので訪ねなくてはと思っていたのです。そして広島新四国八十八ヶ所霊場第十九番ですので巡拝し、スタンプ印を頂かなければならないと思っていたのです。その事を知って、交流ウォーク増田先生が近くに住んで居られますので、案内しましょうと云って下さっていたのです。2011年になりましたが、夏の暑い中案内していただけることになり、ここ(緑井)毘沙門堂をお参りすることが出来ました。
お参りした後、スタンプ印を探しましたが、わたしには探せずスタンプ印を押せずに残念でした。
11.09.25.裕・記編集

11.08.08撮影

11.08.08撮影
(参道入口)広島市安佐南区緑井3-16附近

11.08.08撮影
参拝者駐車場附近から毘沙門天堂(見えませんが)をみました、多宝塔はみえましたが

11.08.08撮影
(参道石段のはじまり鳥居に続き仁王鐘楼門)
広島市安佐南区緑井町(権現山670)

11.08.08撮影
本堂

11.08.08撮影

11.08.08撮影

11.08.08撮影

11.08.08撮影
毘沙門天像 観世音菩薩立像



「神社寺院など」編
「広島新四国八十八ヶ所霊場」編



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権現山・毘沙門堂
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民話:びしゃもん子ねこ
毘沙門天石像
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(多宝塔前)里見の岩


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