(毘沙門堂)七福神
  安佐南区緑井町にある毘沙門堂に建立されている「七福神」をこの頁では取り上げました。
権現山・毘沙門堂は、広島県真言宗教団のお寺です。
昭和40年代当地信者の発願により、吉祥天・六福神石像を奉安す。福授、開運、除災祈願の霊地として信者の尊崇深く、毎年陰暦正月初寅の日を縁日として大祭を修行す。
以前資料で、ここ毘沙門堂境内に原爆死没者慰霊塔として建立されている多宝塔がありますので訪ねたのです。
山門の処から、恵美須さまの石像が見えました。境内参道途中に設置されていた、縁起碑を読めば、昭和40年代(1965-1974)にここ毘沙門堂のご本尊は毘沙門天王ですので、他の六福神の石像が奉安されたことがわかりました。お寺の長い歴史に比べれば最近と云っていいものですが、(わたしは)開運を願いこの頁を編集しました。
11.10.02.裕・記編集

11.08.08撮影
広島市安佐南区緑井町(権現山670)
びしゃもんてん
毘沙門天
仏法守護の神。四天王・十二天の一。須弥山(しゅみせん)の第4層中腹北側に住し、北方世界を守護。黄色の身で忿怒(ふんぬ)の相をし、甲冑を着け、左手に宝塔を捧げ、右手に矛または宝棒を持つ。財宝を施す神として施財天(せざいてん)ともいわれる。
日本では七福神の一とする。多聞天。

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恵比須 布袋 寿老人 福禄寿 弁財天 大黒天

11.08.08撮影

11.08.08撮影
えびす
恵比須
(「夷(えびす)」と同語源)古くは豊漁の神。のち七福神の一人として、生業を守り、福をもたらす神。
狩衣(かりぎぬ)・指貫(さしぬき)・風折烏帽子(かざおりえぼし)をつけ、右手に釣りざおを持ち、左わきに鯛をかかえている。

11.08.08撮影

11.08.08撮影
ほてい
布袋
(?-916)中国、唐末の禅僧。名は契此(かいし)。半裸で太鼓腹を出し、日用品を入れた袋と杖(つえ)を持ち、市中を歩いて吉凶や天気を占ったという。
弥勒の化身ともいわれ、日本では七福神の一人とされ、また、詩画の題材とされる。

11.08.08撮影

11.08.08撮影
じゅろうじん
寿老人
中国の伝説中の人物。宋代、元祐年間(1086-1093)の人で、頭が長く白髪、団扇と巻物をつけた杖とを持ち、鹿や鶴を連れていたといわれる。
日本では七福神の一。長寿を授けるという。南極老人。

11.08.08撮影

11.08.08撮影
ふくろくじゅ
福禄寿
中国の道教で理想とされる幸福・俸禄(ほうろく)・長寿命。
七福神の一。背が低く長頭で長いひげをもち、杖に経巻を結び、鶴を従えている。幸福・俸禄・長寿の三徳をそなえるという。寿老人と混同されることがある。福禄人。

11.08.08撮影

11.08.08撮影
べんざいてん
弁才天
弁財天
インド神話で、河川の女神。音楽・弁舌・財福・智慧の徳があり、吉祥天とともに信仰された。仏教・ヒンズー教に取り入れられ、ふつう琵琶を弾く天女の姿で表される。
日本では財福の神として弁財天と書かれるようになり、七福神の一として信仰される。弁天。べざいてん。

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11.08.08撮影
だいこくてん
大黒天
もとインドで破壊を意味する暗黒の神。密教では、大自在天の眷(けん)族として三宝を守護し飲食をつかさどる神となり、忿怒(ふんぬ)相を示す。寺の厨房などに祭られた。
七福神の一。米俵の上に乗り、頭巾をかぶり、打ち出の小槌を持ち、大きな袋を肩に担ぐ像で表される。
中世以降、大国主命(おおくにぬしのみこと)と同一視されて広く信仰され、恵比須とともに福徳の神とされる。



「広島の神社寺院」編



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(毘沙門堂)山門
(毘沙門堂)七福神
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(毘沙門堂)原爆忌の献水
(毘沙門堂)神石、福石
(毘沙門堂)御神杉・遺木


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