修道短期大学惜別の辞・碑
  安佐南区大塚東の広島修道大学に建立されている「修道短期大学惜別の辞」碑です。
修道短期大学惜別の辞
平成16(2004)年広島修道大学短期大学部は、最後の卒業式を挙行しました。
顧みれば、地元経済界の強い要請もあり昭和27(1952)年修道短期大学は、商科第二部として広島市南千田町に開学しました。以来半世紀を閲し、まことに感慨深いものがあります。昭和31(1956)年商科第一部が増設され、昭和35(1960)年観音新町に四年制の広島商科大学、さらに昭和48(1973)年には人文学部増設のため広島修道大学と改称し、昭和49(1974)年キャンパスも現在の安佐南区沼田に移しました。
かくして修道短期大学は今日まで数多くの卒業生を世に送りました。特に強く記憶に残るのは、草創期の南千田町時代です。向学の念に燃える夜学生たちはもろもろの困難に打ち克ち、真摯に勉学に取り組み、秋窓の灯は今も忘れ難いものです。
修道学園はその源を浅野藩の藩学「講学所」に置き、享保10(1725)年のことです。京都に詩仙堂を営んだ石川丈山(1583-1672)も儒者として浅野藩に仕えました。
修道中学・高校、短期大学・単科大学時代を経て、今日、商学部・人文学部・法学部・経済科学部・人間環境学部と四学部に大学院をもつ、文科系総合大学としての姿をみるに至りました。平成16(2004)年春には、法科大学院も開設しました。いま、改めて半世紀に及ぶ過去を回顧すると共に、広島修道大学の今後益々の発展を祈念して、ここに修道短期大学への惜別の辞を刻します。
平成16(2004)年5月14日 寄贈:広島修道大学短期大学部同窓会
広島修道大学本館に行っているときにみた田中好一胸像の根際に建立されている石碑でしたので、田中好一に関する石碑かと思いましたが、みると「修道短期大学惜別の辞」碑でしたので、別頁で編集しました。
四年制大学が溢れる現在、短期大学がいまや社会に求められなくなってきているように思う、記念碑でした。また、碑文にある夜学生という言葉も余り聞かれなくなってきているように思いながら編集しました。
11.08.25.裕・記編集

11.08.08撮影
広島市安佐南区大塚東1-1-1  広島修道大学

11.08.08撮影

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碑の画像を使用しています

11.08.08撮影

11.08.08撮影
敬称は略しました



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