安村忠魂碑
  安佐南区相田の相田集会所前に建立されている「安村(やすむら)忠魂碑」です。
※もともと安村の役場があった場所であったそうです。前に安川が流れています。
※戦後になって、原爆による死没者も含めで改築されていますので、原爆関連の慰霊碑にもなっています。
(表面) 忠魂碑
    元帥陸軍大将子爵川村景明書
(側面) 大正十一年五月   安村民建之
  川村景明(1850-1926)が1919(大正8)年12月から帝国在郷軍人会会長を務めていたことで揮毫者になったと思いますが
 
この忠魂碑は、明治時代から大正時代までの数々の戦争に参加して亡くなった安村出身者の霊を慰めるため大正11(1922)年に建立されました。
その後水害などによる損傷がひどくなり遺族からの要望もあり、 支那事変、大東亜戦争の戦死者および原爆で亡くなった動員学徒、義勇隊の方々の霊を含めて祀ることになりました。昭和36(1961)年、遺族の方々や町の人々の寄付により修築され現在の姿になりました。同(1961)年盛大な完工式と慰霊祭(仏式)があげられ英霊371柱の冥福が祈念されました。
平成23(2011)年11月安郷土史懇談会
  <左側:各戰役戦死者芳名・碑>
  【西南役】明治10(1877)年(2名)
  【日清戦役】明治27~28(1894~1895)年(2名)
  【北清事変】明治33~34(1900~1901)年(1名)
  【日露戦役】明治37~38(1904~1905)年(15名)
   (シベリア出兵)
  【西比利亜事変】大正7~11(1918~1922)年(1名)
  【支那事変】昭和12~20(1937~1945)年(14名)
  【大東亜戦争】昭和16~20年(1941~1945)年(陸軍127名、海軍21名)
<右側:各戰役戦死者芳名・碑>
  【大東亜戦争】(海軍21名、軍属29名、動員学徒53名、義勇隊78名、陸軍10名)
資料を見て以前からこの忠魂碑のことは知っていましたが、この辺りをぶらり散歩したのは(わたしは)はじめてでしたので、区政振興課制作の「あさみなみ散策マップ」を片手に歩きましたので、迷うこともなくここ相田集会所前に建立の忠魂碑にたどり着きました。
この前を流れる安川の二度の氾濫で、安村の保存文書がほとんど残されていないそうで、この碑の後側に水害之碑が建立されています(別頁で編集します)。
15.11.17.裕・記編集

15.11.04.撮影
広島市安佐南区相田2-4-37   相田集会所(旧安村役場跡)

15.11.04.撮影

15.11.04.撮影
 
15.11.04.撮影

15.11.04.撮影

15.11.04.撮影
安村民建之 各戰役戦死者芳名・碑 昭和36年5月建之

15.11.04.撮影
忠魂碑の手前が(左側の)各戰役戦死者芳名・碑

15.11.04.撮影
(碑裏側をみました)

15.11.04.撮影
安村忠魂碑   と   水害の碑



「原爆関連慰霊碑等巡り」編
「平和祈念碑等建立地一覧」編


「軍都・廣島関連施設戦跡など」編



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