(広島新交通システム建設工事橋桁落下事故)慰霊碑
  安佐南区(広島高速交通広島新交通1号線)アストラムライン上安駅南階段下に建立されている「慰霊碑」です。
1991(平成3)年3月14日(木)午後2時5分ごろ、ここ安佐南区上安(かみやす)2丁目で、
前(3月13日)日仮置きしていた長さ63m、幅1.7m、厚さ2m, 重さ≒60tの鋼鉄製の橋桁を据え付ける作業中、橋桁が≒10m下の広島県道38号に落下する事故が発生し、その落下橋桁が下で止まっていた乗用車を直撃したのです。
つまり、(上部で)据え付けようとする橋桁と並行する(下部横の)県道下り線で赤信号で停車していた乗用車など11台を(上部から落下してきた橋桁が)直撃しました。
乗用車に乗車していた9人と橋桁上で作業していた作業員5人の計14人が死亡、9人が重軽傷を負いました(重傷1名は後に死亡し、この事故による死亡と認定されたそうです)。
(表面) 慰霊碑
(裏面) 平成三(1991)年三月十四日に発生した広島新交通システム建設現場における橋桁落下事故により被災された十五柱の尊い御霊の冥福を祈るとともに、再びこのような事が発生することがないよう工事の安全を祈念して、慰霊碑を建立する。
     平成四(1992)年三月建立   広島市
被災者 (荒木さんからはじまるアイウエオ順で15名のお名前が刻んであります)
*  広島地裁は、広島市新交通システム橋桁落下事故事件における(請負者の刑事訴訟・業務上過失致死傷について)1996(平成8)年3月28日、現場代理人に禁錮2年6月の実刑、統括責任者に禁錮2年執行猶予3年、現場代理人補佐に禁錮2年6月執行猶予4年の有罪判決を下したそうです。 
事故当時勤め人(建築屋の端くれ)だったわたしは、”吊り荷の下に人を入れない!”というクレーン作業などでの基本中の基本を守らなかったことで乗用車に乗車していた方々(9名+1名もの人たち)をこの事故に巻き込んだのだとニュースを見聞きした記憶があります。
報道で、この作業にかかわった作業員の技術的な未熟さも指摘されていましたが、
アジア大会に間に合わせるという大命題があろうとも、吊り荷の下に人が入るような作業の場合は、その作業中は(最低でも)人が入らないような処置・この場合は交通止めさえしておれば、少なくとも乗用車を巻き込む事故は回避できたはずで、法的な責任は回避したものの発注者・広島市(2月になったばかりの平岡市長も含め)の責任は重いものがあったとわたしはいまも思っています。
2015年のいまになりましたが、伴中央に行くときにアストラムラインの中から慰霊碑が見えましたので撮影しました。
そして、相田集会所に建立の安村忠魂碑を訪ねる前にここアストラムライン上安駅で降りてこの橋桁事故慰霊碑の前で頭を垂れた後撮影しました。
15.11.20.裕・記編集

15.11.04.撮影
広島市安佐南区上安2-30-10  アストラムライン上安駅

15.11.04.撮影

15.11.04.撮影

15.11.04.撮影

15.11.04.撮影
(碑裏をみました)

15.11.04.撮影

15.11.04.撮影
事故は1991年ですので周りは変わっているでしょうが、事故があったと聞く交差点付近をみました

15.11.04.撮影



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