けいとうばら やくしどう
鶏頭原薬師堂
  広島市安佐南区上安に創建されている「(鶏頭原)薬師堂」です。 
上安村の鶏頭院と称し武田氏の祈願所でした。
武田氏の滅亡後
※1)、行基(668-749)作と伝わる本尊薬師如来を上安村野村氏の境内に移したといわれ、薬師堂は、元禄年間(1688-1704)六代野村正悦が創建したと記録されています。
※1) 1541(天文10)年武田信実(1524-1555)が孤立した佐東銀山城を放棄、出雲国へ逃亡したことで安芸武田氏滅亡と云われています。
薬師堂由来      資料提供:昭和33(1958)年5月8日 野村家十八代当主野村正俊 
沼田郡上安村鶏頭院ハ武田家ノ祈願所ニテ、当昔相田村ノ北上安村ニアリシガ武田氏ハ毛利元就(1497-1571)ニ滅ボサレ後此院廃シテ本尊薬師如来(行基菩薩ノ作ト云フ)ヲ同村野村氏ノ境内ニ移置ス此ノアタリヲ鶏頭原ト云フ。
野村氏ハ伊予河野氏ノ一族、伊予越智郡明神山城主重見因幡守ノ末流ナリ。先祖野村傳三郎ト云ヒシ人薬師如来ノ夢ニテ目薬ノ妙方ヲ得タリ燭竜膏ト名ツタル目薬ハ即チ此方ナリ其ノ効験著シキコト早ク御室御所ヘモ聞へ菊ノ御紋ヲ免ザレタルヲ包紙ニ押テ真製ノ証トス世ニ安ノ目薬ト称誉サル。
尚此ノ薬師堂ハ六代野村正悦(約二百六十年前元禄年間)再建セシモノナリ、堂前方ノ井戸ハ神託ニヨリ目薬ニ使用セシモノナリ
2015年(被爆70年)原爆死没者も合祀している安村忠魂碑を訪ねましたので、この辺りをぶらり散歩したのは(わたしは)はじめてでしたので、区政振興課制作の「あさみなみ散策マップ」を片手に歩きました。
この鶏頭原薬師堂がマップに紹介があり、創建の由来もありましたので、参考にしてこの頁を編集しました。
境内設置の由来碑を読むと、この後訪ねた“安の目薬”の由来にもつながる記述がありました。2016年のいまになりましたがこの頁を編集しました。
16.11.18.裕・記編集

15.11.04.撮影
広島市安佐南区上安 2-21-28

15.11.04.撮影
 境内建立の薬師堂由来碑

15.11.04.撮影

15.11.04.撮影

15.11.04.撮影

15.11.04.撮影



「神社寺院など」編



広島ぶらり散歩へ
鶏頭原薬師堂
安の目薬・石碑


「相田・安」編


inserted by FC2 system