(正伝寺の)クロガネモチ
  安佐南区相田の正伝寺で育っている広島県天然記念物「クロガネモチ」です。 
広島県天然記念物 正伝寺のクロガネモチ                     指定:昭和28(1953)年4月3日
  雄株  樹高:約16.5m   胸高幹囲:3.4m         平成2(1990)年2月10日広島県教育委員会
クロガネモチは、関西以西から台湾・中国の暖地に分布する雌雄異株の常緑広葉樹で樹高10m、胸高幹囲1.50mなれば巨樹と呼ばれています。
正伝寺のクロガネモチは、全国屈指の巨樹と云えます。
この樹の樹齢ははっきりしていませんが、豊臣秀吉(1536-1598)が朝鮮出兵した時従軍した福島正則(1561-1624:在職1600-1619)が持ち帰った苗木を植えたものと云い伝えられています。
また、広島第四代藩主・浅野綱長(1659-1708:在職1673-1708) の写生画がお寺に保存されており、その中にこのクロガネモチも描かれています。
この巨樹は、この地域の人たちの生活を見守り続けてきた歴史の生き証人であることを改めて感じさせてくれます。
広島県教育委員会が設置した説明板の文章を読んだとき、
関ケ原合戦の後、藩主となった福島正則が苗木を植えたというのは年代的に無理があると(わたしは)思ったのです。帰宅後年代的なものを調べてみました(下欄)。
福島正則は、朝鮮出兵では、
文禄の役(1592-1593)参戦、1954年1月再び朝鮮に渡る1955年には日本に居た。
慶長の役(1597-1598)には参戦しなかった。
1600年関ヶ原の戦いで、敗れた毛利輝元に代わり広島藩主になった福島正則、1601年3月広島に入封。
ですので朝鮮から持ち帰った苗木を植えたということには年代的にチト無理があると思います。
広島藩主としての福島正則は、寺領没収などの多くの話が伝わり評判は好ましいものではないとわたしは思っています。その中で、福島正則につながる話は貴重と思いますので、
『正則が朝鮮に出兵時にクロガネモチの苗木を持ち帰り盆栽にした。
そのクロガネモチの盆栽を、(旧山陽道沿い近くである)ここ正伝寺の境内に地植したものが育ったということであれば年代的な疑問にも応えることができるのではと思った』のですが。
福島正則が藩主になる前は、(広島中心部から北側山沿いであった)山陽道を(広島中心部を通る)広島城南側に付け替えたのが正則と云われています。のでこの地では名だたる正伝寺に記念として植えたと云うことであれば話も通じるのかなと
2015年訪ねた正伝寺でした。
安川に架かる正伝寺橋を渡ってすぐに「広島県天然記念物 クロガネモチ」の立柱(画像は正伝寺の頁に掲載しています)をみて広島県も宣伝に力を入れているのだろうな~と思いました。
説明板で、朝鮮から苗木を持ち帰り植えたという言葉に引っかかったわたしでしたが、何とか福島正則につながる話にするにはと考えた末の話がを上記に記述しましたが、これもチト無理があるのかもしれませんが、このクロガネモチの大きな幹回りをみた時否定することではなく肯定するにはと考えたことからだったのです。
16.11.08.裕・記編集

15.11.04.撮影
広島市安佐南区相田4-4-15  正伝寺

15.11.04.撮影

15.11.04.撮影
 (多くの数のクロガネモチをみてきたわけではありませんが大きな幹でした)

15.11.04.撮影
(根回りもクロガネモチかと思いました)

15.11.04.撮影



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