JRA ウィンズ広島

  南区的場町に建てられている「JRA・ウィンズ広島」です。
30余年前まだ独身時代に、転勤で東北へ、宮城県でしたが福島県に近いところで勤務になったのです、その地の職人の方々の多くが福島競馬を土日になると楽しんでいました、競馬か〜とその時は思ったのです。
その後、結婚をし職場が福島市になり長男も生まれ、福島競馬場には自転車で15分もかからないところに住んでいましたので日曜日にまだ小さかった子供と女房とでよく行き、勝ち馬投票券を買っていました。
天馬・トーショウボーイ※、テンポイント、グリーングラスの3頭の名馬が競馬人気を押し上げ、単なるギャンブルから競馬は文化と言われてくる頃だったように思います、わたしは日本の近代競馬(先行してスピードで押し切るレースができる)天馬・闘将のファンでした。後年ダービー馬となれなかった彼の子供たち、孫たちにも肩入れしていた事を懐かしく思い出します。
福島には所謂一流馬と言われる馬が来ない時代でしたが、ハワイアンイメージ※という皐月賞馬が福島に来たときはこれがクラシック馬かと思ったものでした。
広島に帰ってきた1982(昭和57)年はまだウィンズはなく競馬はTVで限られたレースをみるものになっていました。その後このウィンズができクラシックレースレースを中心に勝馬投票券を購入していましたが、現在(わたしは)経済的なことで再びTVで観るだけの人になっています。
06.09.26再編集     04.02.15裕・記編集

04.02.08.撮影
広島市南区的場町1-1-8  (駅前通側ファザード)

04.02.08. 撮影
画像左側(JRAから≒北側)にJR広島駅にみえます

04.02.08. 撮影

04.02.08. 撮影
裏通り(繊維街)からみる

04.02.08. 撮影
トウショウボーイ(1973-1992)、鹿毛。 愛称は天馬
父:テスコボーイ (テスコボーイ系)、母:ソシアルバターフライ、母の父:Your Host (ハイペリオン系)
15戦10勝 (中距離)、1976(昭和51)年度代表馬、最優秀4歳(当時)牡馬
1着1976年4月25日皐月賞(騎手:池上昌弘)、1976年12月19日有馬記念(武邦彦)、1977年6月5日宝塚記念(武邦彦)、1977年6月26日高松宮杯(武邦彦)他。
東京優駿2着、菊花賞3着。
ハワイアンイメージ(1977-1990)、黒鹿毛。
父:ファーザーズイメージ(ハイペリオン系)、母:ハワイアンドーン、母の父:カウアイキング(ネイティヴダンサー系)
39戦11勝 (中距離) 
1着1980(昭和55)年4月13皐月賞(騎手:増沢末夫)、1980年6月22日(福島競馬場)ラジオ短波賞(増沢末夫)、11月23日福島記念(増沢末夫)他。

東京優駿14着、菊花賞不出走。
当時、競馬四季報というものを買い検討していた事を思い出しています。主なレースは(福島では)TV中継がありましたので、検討資料としてソニーのベーターマックスで録画していました、技術的には優れていると云われていましたが、VHSとのシェアー競争に負け消えて行きました。しかし、機械は捨てましたが、テープは段ボールにいまだ再生できはしませんがあるのです。その後、VHSに乗り換えたものの、時代の趨勢から取り残されてしまいただの屑になってしまった今でも捨て切らないわたしです。
増沢騎手、武邦彦騎手は、調教師になり、息子の武豊が騎手になりリーディングジョッキーの名をほしいままにしていた時代も既に終焉を迎えようとしています。時代の移ろいを思うばかりです。 2010年1月16日裕・記



「建物」編 広島ぶらり散歩へ


inserted by FC2 system