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中区国泰寺の国泰寺高校内に広島市によって建立されている「旧雑魚場町地区周辺・原爆被災説明板」です。 |
旧雑魚場町地区周辺・原爆被災説明板 爆心地から約1,100m |
第二次世界大戦末期、空襲による建物の延焼を防ぐ目的で、木造家屋を解体する建物疎開が各地で実施されました。この作業には隣組や職場の人たちで組織された義勇隊をはじめ多くの国民学校や女学校、旧制中学校の学徒も動員されました。原爆が投下された1945(昭和20)年8月6日この雑魚場町地区(現在の国泰寺町一丁目)では約2,500名の生徒たちが作業に従事していましたが、その多くが痛ましい犠牲者となりました。 |
市立浅野図書館屋上から旧雑魚場町の県立第一・第三中学校を望む |
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2003年県立広島第一中学校職員生徒追憶之碑を訪ねたときに、この原爆被災説明板が設置されている事を知り撮影しました。雑魚場町の町名は知っていてもここも雑魚場町だったことを知ったのです。
1945(昭和20)年8月6日は、雑魚場町附近でも、建物疎開中作業中の多くの方々が犠牲になったのだと説明板を読んでわたしは知ったのです。
2011年建立の状況がわかるようにと撮影していました。2014年のいまになりましたが、頁を再編集しました。 |
説明板の画像、説明文が新しくなっている碑も見ることがあるので、
2019年になりこの旧雑魚場町地区周辺原爆被災説明板はどうかなとみましたが、ここで2003年取り上げた説明板と変わりがありませんでしたが、(その時撮影の画像などを加え)この頁を更新しました。 |
19.09.25.更新 03.05.10裕・記編集 |
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03.05.02撮影 |

11.11.19.撮影 |
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03.05.02撮影 |
市立浅野図書館屋上から旧雑魚場町の県立第一・第三中学校を望む 米軍 ピーターソン氏撮影 |
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11.11.19.撮影 |
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19.02.24.撮影 |
(画像も碑文も2019年も2003年取り上げたものと変わりがありませんでした) |
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19.02.24.撮影 |
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19.02.24.撮影 |
(植込みの植栽が刈り込まれ影がわずかでした) |
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19.02.24.撮影 |
被災説明板を斜め後ろからみました(裏側には何もありません) |
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