中国配電株式会社・原爆被災説明板

  中区小町の中国電力前に建立されている「中国配電株式会社・原爆被災説明板」です。
中国配電株式会社・原爆被災説明板  爆心地から約680m
1945(昭和20)年8月6日(月)午前8時15分、原爆の爆発と同時にこの鉄筋コンクリート5階建の建物は外形だけを残して破壊炎上し、内部は焼失しました。
強烈な爆風により、鉄の窓枠が頭や胴体に突き刺さり吹き飛ばされるなどして163人の犠牲者が出ました。
  爆風で布きれのようにちぎれた北側の雨どい 1945年10月 菊池俊吉氏撮影
  被爆後の中国配電本社ビル 1945年11月頃 米国返還写真
※(以前の説明文) 強烈な爆風により、槍のようにとがった鉄の窓枠で頭を突き刺れたり背中をつらぬかれて吹っ飛ばされたりして約150人の犠牲者が出た。
中国電力略沿革
1921 大正10年 広島電気(=広島電燈+広島呉電力)設立。
1929 昭和4年12月 この地に(RC造5階建 地下1階)新築移転。 
1942 昭和17年4月 中国配電(配電統制令で中国5県の電気事業者が統合され)設立。
1945 昭和20年8月6日 原爆により従業員272人中40人の方々が即死。
                1年以内で163人の方々が亡くなりました。
1951 昭和26年5月 中国電力(中国配電解散)設立。
1984 昭和59年12月 建替えに伴い建物解体されました。
現在の中国電力の本社建物へ来たこともありこの原爆被災説明板の前を何度となく歩いていたのに原爆被災説明板が設置されていることは資料を見るまで知らなかったのです。如何にぼんやりと歩いていたことかと、解体される前の建物も見ていたというのに、撮影に行ったのは新しい本社になってからしばらく経ってから原爆被災板の頁を編集しだした2004(平成16)年4月のことでした。
2016年中電ビル側の歩道を歩いていた時、原爆被災説明板の(みにくなっていた)銅板写真が新しくプラスティック板写真に変わっていることに気が付き撮影しました。
撮影時には気が付かなかっのですが、説明文が変わっていたことがわかり新しい文章でにしました。
その中で、原爆にとって亡くなった方々も当初は約150人としていましたが、資料にあった(被爆後一年以内に亡くなった)163人としていました。
掲載画像も見直し、2013年平和記念資料館を見学した時、説明文にある“内部は焼失”がわかる展示パネルがありましたので撮影していました。そして、2016年撮影画像を加え、この頁を再編集しました。
17.04.26.再編集    04.04.10裕・記編集
   関連頁:(玄関脇で被爆した)獅子の装飾

04.04.06.撮影
広島市中区小町4-33  中国電力

04.04.06.撮影

04.04.06.撮影
(被災説明板は西向きですので、陽に焼けています) 

16.06.16.撮影
 (原爆被災説明板の碑面が新しくなっています) 

16.06.16.撮影

16.06.16.撮影
(向側:広電の中電前電停です)

16.06.16.撮影
 
全焼した中国配電本店内部  1946(昭和21)年秋 岸本吉太氏撮影 

13.04.08.平和記念資料館展示パネルを撮影
(広島平和記念資料館を見学した時目に留まり撮影しました) 



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