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中区本川町の本川小学校に造られている「平和の森」です。 |
最初: |
正面「岩石実習園」碑、裏面「明治百年記念」 |
明治百年=1968(昭和43)年 |
次に: |
正面「広島に生きる子どもとして」碑、側面「2000年3月」 |
2000年=平成12年 |
現在: |
正面「平和の森」 |
2012年=平成24年11月命名とききます |
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現在、平和の森と呼ばれているようですが、その地にみた2つの石碑で、もともとは「岩石実習園」として1986(昭和43)年開設され、2000(平成12)年に「広島に生きる子どもとして三つの提案」を祈念した地としてニワウルシを中心にして整備され、2012年被爆したアラカシの移植を機に「平和の森」と名付けられたようです。 |
広島に生きる子どもとして
かけがえのない地球に生きる人間として 私たちは 三つのテーマを提案します
一、学習しよう
二、伝えよう
三、つながろう
「今」から始めよう この三つが平和な世の中への第一歩となることを信じて |
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平和の森: |
『被爆樹木、被爆樹木二世を知ることで、平和を築く気持ちを養い、後世まで平和を継承していくためにつくられた森』だそうです。
“平和の森”の処は、もともと吉井さん宅の庭でした。被爆の翌(1946)年その庭に一本の木が生えている事に(吉井さんが)気が付きました。この木(ニワウルシ)は“天知らず”とよばれ生長がはやく1949(昭和24)年には屋根の高さほどになりました。この地は後に学校敷地になり、ニワウルシは運動場の北西の一画で枝を広げていきました。‘木を切る’話も出ましたが「大切に育てよう」という声に支えられ今日に至っています。
平和の森には、そのニワウルシを中心に、被爆アオギリ二世(2本)や被爆クスノキ二世(どの木かわたしはわかりませんでしたが)、そして2012年爆心地から2,185mで被爆したアラカシが移植されています。 |
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2014年、本川小学校に立寄り、事務所で、2012年8月移植されたと聞く被爆アラカシを撮影させて下さいと申し出て、許可を頂き運動場の方に行って、2012年11月「平和の森」と名付けられたというその地に移植されているアラカシを撮影しました。
その時2つの石碑をみましたので、この「本川小学校平和の森」の頁を編集しようと思ったのです。
学校から出ていく前に事務所で(上記)平和の森について教えていただきました。 |
2018年訪ねた時に、2014年気が付かなかった標識があり、それにはこの“平和の森”の中の花壇は、この地域の人たちによって育てられていることを知りました。 |
18.07.17.更新 14.06.23.裕・記編集 |