浄土真宗・尾長説教所 原爆被災説明板

  東区尾長東の法明寺前に建立されている「浄土真宗尾長説教所・原爆被災説明板」です。
浄土真宗尾長説教所・原爆被災説明板 爆心地から約3,360m
爆心地から東北に約3,360mも離れていた浄土真宗・尾長説教所は、原子爆弾の炸裂による強烈な爆風のため、屋根瓦が吹き飛び、屋根の木軸組がむき出しになるほど大きな被害を受けました。
町内には、燃え盛る市内から大勢の人々が避難してきて、各地で負傷者の手当が行われました。
破壊された浄土真宗 尾長説教所  1945(昭和20)年10月20日 菊池俊吉氏撮影
2004年見たとき原爆被災説明板は、陽(西日)に焼けたのか?説明文はやっとやっとで、画像も見づらくなっていました。
原爆被災説明板では爆心地より約3,350mとなっています。
2011年訪ねた時にみた新しくなっていた陶板の説形文では、資料と同じ「爆心地から約3360m」になっていました。
資料をみていると被爆した構築物として画像にも写っている石段が記述してありました。
爆心地より≒3,360m      (被爆当時町名は尾長町)
* 以前の説明板は日焼けして見にくくなっており(わたしは)爆心地より3,500mと刻まれていると読んで頁を編集していましたが、2011年新しくなった説明板を写した画像を見ると3,350mとなっていました。
* 広島市は爆心地からおおむね5km以内で被爆した建物を「被爆建物」と呼んでいます。
資料をみて訪ねたのですが、地図が手放せませんでした、なにせこの辺りははじめて訪ねる処でしたから、ここら辺だなと思った時、法明寺の看板がみえ、場所がわかりました。
今(2011)年久しぶりに立寄ってみたのです、地図をみながらでしたが相変わらず場所がわからず通りすがりの方に聞きそこですよ云われ撮影したのが今回最初に掲載した画像です。みると以前は日焼けして見にくくなっていた原爆被災説明板銅板部分が新しい陶板に取り換えられていました。
HPを引越していますので、新しい画像を加え、頁を再編集しました。
コロナ禍も終息に向かっているとの政府判断の2023年、久しぶりに訪ねましたので、撮影しこの頁を更新しました。
23.03.08.更新   04.04.30裕・記編集

04.04.22撮影
広島市 東区尾長東一丁目10-9 (法明寺)

04.04.22撮影

04.04.22撮影

11.05.07撮影
新しい説明板に取り換えられていました
1945(昭和20)年8月6日被爆当時、尾長説教所と云っていましたが、現在は法明寺と改称されています。

04.04.22撮影

11.05.07撮影
 旧原爆被災説明板 新原爆被災説明板(碑文上記)

11.05.07撮影
2011年交流ウォークで訪ねた法明寺

11.05.07撮影
 

23.01.30.撮影
2023年久しぶりに訪ねた法明寺

23.01.30.撮影

23.01.30.撮影
原爆被災説明板

23.01.30.撮影



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