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東区尾長東の法明寺本堂前にある「被爆した石段」です。
※被爆(1945年8月6日)当時は、浄土真宗・尾長説教所でした。 |
資料をみていると被爆した構築物として画像にも写っている石段が記述してありました。 |
爆心地より≒3,360m (被爆当時町名は尾長町) |
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※広島市は爆心地からおおむね5km以内で被爆した建物を「被爆建物」と呼んでいます。 |
2004年ここ法明寺を訪ねた時は、原爆被災説明板を撮影することだけでした。
その後、被爆した構築物の頁を編集しだした時に資料をみると、被爆石段として、ここ法明寺の石段が記載してありました。しかし、その石段を正面から撮影はしていませんでした。
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今(2011)年久しぶりに立寄ってみた時、原爆被災説明板の被爆当時の画像が陶板になっており、被爆した石段がそれなりにわかりましたので、別頁で被爆した石段として編集することにしたのがこの頁です。 |
23.03.08.更新 11.09.03裕・記編集 |