横川駅・原爆被災説明板

  西区横川町のJR横川駅前(南側)広場に建立されている「横川駅・原爆被災説明板」です。
横川駅・原爆被災説明板   爆心地から約1,750m
1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、原爆の熱線により駅構内の一画から火の手があがり、数時間後には駅舎も焼失しました。待合室では約10人が生き埋めとなり4人だけが救出されたといわれています。
当日には、線路の枕木がくすぶる中、被災者を運ぶ列車が運転されました。
焼け落ちた横川駅のプラットホームと大秤(おおばかり
撮影・菊池俊吉氏1945(昭和20)年10月
※新しい説明板では、爆心地からの距離が、(約1,800mから)約1,750mと変わっています。
*新しい説明板の説明文が“ですます調”に変更されています。
横川駅は、1897(明治30)年9月25日 山陽鉄道:広島駅〜徳山駅間の開通と同時に開業しました。
1945(昭和20)年8月6日、原爆の熱線により駅構内の一画から火があがり、数時間後駅舎は焼失しました。
戦後復旧された駅舎は、2003(平成15)年8月23日-現在の新駅舎になりました。
いままで何度となくここにきていたのに原爆被災説明板は資料をみて知ったのです。
2004年撮影に行った時、以前と違い明るくおしゃれになった駅前にチト驚きました。2003)年8月に駅舎がリニュアルされていて、原爆被災説明板も資料の場所から移設されています。
2013年、2014年この原爆被災説明板を撮影しましたがすでに何の碑かわからないような状態でした。
2017年横川駅に来たとき遠くから説明板が取り替えられたことがわかりましたので撮影し、この頁を再編集しました。

新しい横川駅・原爆被災説明板fでは、爆心地からの距離が変更されていました。また、説明文が“ですます調”に変更されていました。
17.05.02.再編集    04.04.30裕・記編集

04.10.15.撮影
広島市西区横川町3-15  横川駅前広場

04.04.22.撮影
 リニュアルしたJR横川駅広場に原爆被災説明板は設置されています

04.04.22.撮影
横川駅 爆心地から約1,800m

13.05.18.撮影
久しぶりにみましたが、写真みずらく、説明文を読むには難渋します

14.09.11.撮影
(原爆被災説明板という事を知っている人以外はもう何の碑かわからない?) 

14.09.11.撮影
(日焼けで真っ黒)説明文は読めません 

17.04.27.撮影
日焼けしていた説明板が取り替えられたことが遠くからわかりました 

17.04.27.撮影
(原爆被災説明板とは関わりはありませんが)フレ〜〜フレ〜〜サンフレッチェ 
   関連頁:(裕編集の)百万一心・碑 

17.04.27.撮影
爆心地からの距離が約1,750mに変更されています

17.04.27.撮影
(東南の方からみました)



原爆被災説明板一覧」編



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