おおこう こくみん がっこう
大河国民学校・原爆被災説明板
  南区旭の大河小学校内に広島市によって建立されている「大河国民学校・原爆被災説明板」です。
大河国民学校・原爆被災説明板
爆心地から約3,000m
1945(昭和20)年8月6日の原爆時、爆心から離れていたため 登校児童などの被害は少なかったが 校舎は半壊した。被爆直後から 校舎は被災者の救護所となり 各教室 運動場 防空壕などには多数の負傷者がつめかけ ありあわせの油 医療品で看護が行われた しかし 死亡者が続出し 運動場では駐屯していた暁部隊の兵士の手で火葬された。
救護所になった大河国民学校 撮影・菊池俊吉 1945年10月
  資料をみて大河小学校に原爆被災説明板が設置されている事を知り訪ねたのです。
正門から入って、事務室で設置場所を教えていただきたいことと、撮影させていただきたい、と用件を話したのですが、原爆被災説明板そのものをご存じなかったようで同僚の方にきかれていました・・・・近くに設置されているのではとキョロキョロとしたら玄関すぐ横に設置されていましたので、撮影許可をいただき撮影しました。
04.05.20裕・記編集

04.05.12.撮影
広島市南区旭一丁目8-1 (現大河小学校内)

04.05.12.撮影
         大河小学校略沿革
1884 明治17年 大河簡易小学校創立、大河山根に2階建ての木造校舎が完成
1891 明治24年 大河尋常小学校と改称
1904 明治37年 広島県師範学校代用附属小学校大河分教場と改称
1911 明治44年 大河尋常小学校と改称
1914 大正3年 大河尋常高等小学校と改称
1929 昭和4年 広島市大河尋常高等小学校と改称
1941 昭和16年 広島市大河国民学校 と改称
1947 昭和22年 「広島市立大河小学校」
資料は大河小学校の資料を参考にしました



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