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広島市南区翠の広島大学附属中高学校講堂入口に設置されている(旧制)広島高等師範学校附属中学校「長谷川乙彦初代主事(在職1905-1925)像」です。
※像の作者は、宮本瓦全です。 |
長谷川乙彦 (はせがわ おとひこ:1870-1939) |
愛知県の生まれ。1905(明治38)年広島高等師範学校附属中学校の初代主事に就任する。人格形成を目標に掲げ、全人教育を提唱する。1925(大正14)年まで在任してわが校の基礎を築いた。
この像は、1930(昭和5)年アカシア会の依頼を受けて、宮本瓦全が制作したものである。 |
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宮本瓦全 (みやもと がぜん:1871-1939) |
彫刻家。広島市大手町出身。名は二七郎。東京美術学校彫刻科卒業、高村光雲(1852-1934)に師事。
1899(明治32)年廣島県職工学校教論。1909(明治42)年奈良県吉野実業高校校長。
1916(大正5)年東京金属技師長、宮本製作所など。
1924(大正13)年広島に戻る。1933(昭和8)年東京に帰る。
1913(大正2)年饒津神社公園に船越男爵像(現存せず)。
1915年千田廟公園に千田貞暁男爵像。
1922年(大正11)鶴羽根神社に山縣豊太郎飛行士像(現存せず)。明星院に佐藤正像(現存せず)など |
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饒津神社の山縣豊太郎像は戦時中金属供出で無くなりましたが、現在石像ですが、同じようなポーズで建てられています。明星院の佐藤正像は、第三代廣島市長(在任:1896-1896)で1920(大正9)年歿していることから建立されたのだろうと思いました。 |
資料をみていて、この長谷川乙彦胸像の作者が宮本瓦全とわかりました。
いままで、被爆した建物・広島高等学校講堂の頁に一緒に編集していましたが、独立した頁にしました。 |
2015年久しぶりに拝見したこの胸像、台座に長谷川乙彦初代主事の略歴板がありましたので追記し、画像を見直し、この頁を再編集しました。 |
15.07.04.再編集 06.01.06裕・編集 |