被爆した建物:(旧制)広島高等学校講堂・内部

  南区翠の広島大学附属中高学校にある「(旧制)広島高等学校講堂の内部」を取り上げました。
旧制広島高等学校は、1924(大正13)年4月開校で、その講堂として1927(昭和2)年1月鉄筋コンクリート造平屋建(一部2階)、建築面積507uとして竣工した建物です。
入口の床に2587の数字は、完成年を皇紀で示したものです。
1949(昭和24)年広島大学が発足し、旧制広島高等学校は、包括されて皆実分校(教養部)とまり、1961(昭和36)年教育学部付属中・高等学校が教養部と入れ替わり移転してきました。
この講堂は、ロマネスク復古様式を取り入れ、正門正面に位置し、2階まで通じたバットレス状の外壁、正面入口のアーチ状の扉、円柱および階段の手摺は濃淡のついた灰漆喰で石材のような質感を作り上げています。
広島市は1994(平成6)年2月に被爆建物として指定しています。1998(平成10)年有形文化財として文化庁に(第34-0016号として)登録されました。現在改修され、学校行事の場として生徒たちに利用されています
爆心地から≒2,690m   (被爆当時町名:皆実町3丁目)
1944(昭和19)年勤労動員がはじまると共に、ほとんどの生徒が船越の日本製鋼所や呉海軍工廠などへの勤労動員だったそうですが、(米軍によって)原爆投下された1945(昭和20)年8月6日(月)は日本製鋼所が公休日で帰省していて被爆した生徒も多く、同(1945)年末までに27人の生徒教職員が亡くなったそうです。
2004年撮影して、被爆建物として頁を編集しました。
1994(平成6)年仕事の関係(教師としてではありません)で講堂内部もみていましたが、当時は学校行事には使用されていませんでした。2004年外部周りですが撮影した時、改修された事を知りました。
今(2015年)回副校長先生に耐震的には?と尋ねると、改修をしてきているので、いまは学校行事に使用しており、先日は文化祭で使用したと教えていただきました。
被爆建物が利用もされず、ただ朽ちるのを待っている被爆建物がある中、いまも講堂として利用されている事がうれしく思い、内部を見学させていただき、撮影しました。
2015年学校にお願いして、副校長立ち合いのもと、内部を見学する機会を与えていただきました。
いままで外観だけの頁でしたので、講堂内部は独立したこの頁で編集することにしたのです。
 15.07.05.裕・記編集

15.07.02.撮影
広島市南区翠1-1-1  広島大学附属中高学校

15.07.02.撮影
床:モザイクタイルで(皇紀)2587(=昭和2年)竣工年を表わしています

10.12.18.撮影
講堂内部をみました

10.12.04.撮影
梁をみました

10.12.04.撮影
梁ハンチを利用した細工がなされていました

10.12.18.撮影
階段をみました

10.12.18.撮影
手摺天端はテラゾーかなと思いましたが、説明板に「灰漆喰で石材のような質感を作り上げています」とあります

10.12.18.撮影

10.12.18.撮影
2階から舞台をみてみました



「被爆した建物・構築物」編



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