(比治山公園からみた)廃墟と化した広島市街地・原爆被災説明板

  南区比治山公園の“ムーアの広場(広島市現代美術館前)に建立されている
                 「(比治山公園からみた)廃墟と化した広島市街地・原爆被災説明板」です。
廃墟と化した広島市街地
爆心地から約2,000m
1945(昭和20)年8月6日、一発の原子爆弾によって、広島の市街地は焦土と化した。市の中心部には、わずかに鉄筋コンクリート造の建物の外郭が残っているだけだった。
写真中央の建物群は八丁堀周辺(爆心地から700〜800m)の商店街のビルで、写真左の建物群が紙屋町周辺(爆心地から200〜300m)の金融街のビルである。
比治山より市街地を望む  1945(昭和20)年10月 米軍撮影
原爆被災説明板の写真(下段掲載)を見ると廃墟の中に僅かに残る八丁堀、紙屋町の鉄筋コンクリートの建物が見られますが、現在はマンション、オフィスビルなどが多く建てられ、
                      (爆心地から≒2,000mといわれています)

小高い丘のここ比治山公園ムーアの広場から(現在では)八丁堀、紙屋町附近はビルの間からわずかしか見ることができなくなっています。
2004年撮影に行ったとき花も終わり葉桜の木陰でご婦人方が句会をされていました。
2019年久しぶりに撮影しました。説明板は2004年撮影時と同じでした。
19.05.30.更新    04.05.15裕・記編集

04.05.12.撮影
広島市南区比治山公園 (ムーアの広場)
(原爆被災説明板の写真を使用しています)

04.05.12.撮影
現在(2004年)比治山からみる広島市街地

04.05.12.撮影
広島市現代美術館前のムーアの広場に原爆被災説明板は設置されています

19.05.23.撮影
(ムーアの広場)ヘンリームーア作“アーチ”の先に「原爆被災説明板」が設置されています

19.05.23.撮影
(花見の時期は去り静かな中の原爆被災説明板でした)

19.05.23.撮影

19.05.23.撮影
(以前の説明板のままでした)

19.05.23.撮影
(下は京橋川)  爆心地は右手≒45度方向

19.05.23.撮影







19.05.23.撮影



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