広島 ひろしま HIROSHIMA

  中区東千田町の御幸橋西詰・北側に建立されている「広島 ひろしま HIROSHIMA」碑です。
碑は、高さ7m東面は太陽の光を浴びる(広島市の花)夾竹桃がデザインされ、西面は120人の顔が描かれ戦火に散った人々への思いが表現されているそうです。蝋燭の炎をかたどった碑に貼り付けられた陶片は約5万枚だそうです。
製作者は、備前焼作家:藤原雄(1932-2001)1990年制作の作品です。
  御幸橋は、1885(明治18)年木橋として架けられました。
1931(昭和6)年近代的な橋に架け替えられ今日まで市の中心部と宇品地区を結ぶ交通の動脈して、大きな役割を果たしてきた
日清戦争以来第二次世界大戦終了まで、多くの兵士らがこの橋を渡り、宇品港から戦地へ赴き異国の地に眠った。
また、1945(昭和20)年8月6日世界最初の原子爆弾が投下された時、この橋を渡って避難した市民も多い。
広島の歴史を見守ってきたこの橋の2度目の架け替えが終った。新しい橋の完成と被爆45周年を迎えるにあたり、失われた者への鎮魂と平和、そして輝く明日への希望を込めこの碑をここに設置する

 1990(平成2)年7月 寄贈:財団法人・多山報恩会 制作:藤原 雄
                       ここまでの歩み
御幸橋の架け替えにあたり 橋の親柱が 無造作に投げ捨てられることは この橋に思い出をもつ地元として 黙視しがたいものがあったので 強く保存を要請したが 三柱しか確保できなかった
軍都であり大本営が設置されたこの地は 海外派兵の兵站基地であった 日清・日露・各事変・第一次第二次世界大戦で 百万人以上の将兵が 故郷の父母、妻子、恋人を思いつつ 万感こもごも胸に迫る思いを秘め 歓呼の声に送られて御幸橋を渡り 幾十万の将兵は 再びこの橋に帰ることはなかった
1945(昭和20)年8月6日原爆の閃光の下に 傷つき倒れた人々は 家族の安否を気づかいながら 暁部隊の将兵に助けられて御幸橋を渡り 似島の救護所に収容され手当を受けたが 九割を超える人々が 再びこの橋に帰ることはなかった
この悲惨さをまのあたりに見 体験した地元の人達は 再び「帰らざる橋」が造られないよう 念じ続けている 去る年、ニューヨークの 国連本部において展示された 御幸橋たもとの被爆者救護の写真が 各国の人々の注目を集めていた その後8月6日に 外国の報道記者たちが この橋を取材している姿を見た 折りしも御幸橋架け替え工事中のため ありし日の姿を伝えるものは無くなっていた
ともすれば戦争や原爆の体験が風化しようとする時 平和を念ずる思いを込めて 多山報恩会の御厚意をもとに このモニュメントの除幕式が行われる 誠に感無量である かけがえのないこの地球を いかなることがあろうとも おごりやわがままで傷つけてはならない 失ってはならない この願いを強く念じ 協力してくださった多くの人々に感謝する
1990(平成2)年7月27日 文責 宮元正夫(地元市議会議員)
多山恒次郎(1884-1962)
広島市播磨屋町(現・中区本通)生まれ。東邦ゴム株式会社、広島瓦斯電軌株式会社(役員、1938年社長)、鈴ヶ峯学園(理事長)、広島電鉄株式会社(社長、会長)。
1942(昭和17)年財団法人「多山報恩会」の設立申請、1943(昭和18)年3月31日発足。
没後、遺体を広島赤十字病院に献体し、必要経費は自己負担で特殊技工をほどこした標本として医学研究に貢献されているそうです。
2003年撮影してこの頁を編集しました。
製作者は、備前焼作家:藤原雄であった事を知り、国際会議場の「友愛の船出」の作品もある事を資料で知りました。
2006年撮影し更新しました。
2015年久しぶりに撮影しましたので、説明碑も追加し、この頁を再編集しました。
15.07.05.再編集     03.10.04裕・記編集

03.09.24撮影

03.05.16撮影
広島市中区東千田町 御幸橋西詰・北側

06.09.11撮影
(西側からみました) 「広島 ひろしま HIROSHIMA」碑 と 御幸橋

06.09.11撮影

06.09.11撮影
東面 西面

06.09.11撮影
広島 ひろしま HIROSHIMA   1990(平成2年)      藤原 雄 Yu Fujiwara

15.04.30.撮影
≒西側からみました

15.04.30.撮影
≒北側からみました

15.04.30.撮影

15.04.30.撮影

15.04.30.撮影
(東側からみました) 御幸橋 と 「広島 ひろしま HIROSHIMA」碑 と 「おりづるモニュメント」



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