白島尋常高等小学校(記念碑)

  中区東白島町に建立されている「白島尋常高等小学校(記念碑)」です。
(この地にあった広島市立白島小学校)沿革
1874 明治7年7月 東白島・真木氏宅に白島学校(広島師範学校の前身)が建てられました
1875 明治8年1月 この場所に小学校校舎が新築されました
1902 明治35年4月 広島市白島尋常小学校として分校から独立しました
1921 大正10年1月 高等科併置 広島市白島尋常高等小学校と改称しました
1926 大正15年5月 校歌が制定されました
1941 昭和16年4月 広島市白島国民学校と改称されました
1945 昭和20年8月6日 原子爆弾により教職員、児童約100人余りが犠牲になり校舎は全壊全焼しました
爆心地より≒1,500m   被爆当時町名も東白島町
1946 昭和21年2月 全市に先駆け仮校舎が落成しました
1947 昭和22年4月 広島市立白島小学校と改称されました
1948 昭和23年7月 児童増加に伴い 現在地の西白島移転しました
その後、中国地域における電気通信事業の物流拠点として長く活用されていましたが、平成元(1989)年5月の移転を機会にNTT中国不動産(株)が再開発をし平成4(1992)年NTTクレド白島ビルが誕生しました。
何年か前、わたしはこの白島小学校の記念碑に気がついてはいたのですが、先日原爆被災説明板ではないのかと尋ねられたのです。(大借金自治体の)広島市は新たな原爆被災説明板の設置を諦め(現在45基)、被爆建物であることを示すステンレスのプレートを付けることにしたと聞いていましたのでそう答えたのです。改めて今(2008年)回みに行ったのです、原爆被災にもふれていましたので頁を編集しました。
08.12.02裕・記編集

08.11.03.撮影
広島市中区東白島町14

08.11.03.撮影

08.11.03.撮影
広島市立白島尋常高等小学校 校訓:質実剛健   平成4(1992)年7月吉日 建立

08.11.03撮影
この場所には、明治8(1875)年から昭和23(1948)年まで広島市立白島小学校があり多くの人々が学ばれました
(記念碑の写真を使用しています)



被爆した建物・構築物」編



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原爆被災説明板一覧」編


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