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廿日市市宮島町で食べた「穴子めし」をこの頁で取り上げました。
※廿日市市宮島町大元公園口の民宿舎“みやじま杜の宿”のお食事処で食した“あなごめし”です。 |
広島県での穴子の漁獲量は、1995(平成7)年404トンから2008(平成20)年163トンと激減しています。
漁法は、底びき網・筒漁・延縄漁などだそうです。
特に廿日市市大野瀬戸でとれるアナゴは、宮島の原始林が栄養たっぷりの水を海に注いでくれ、海に浮かぶ養殖カキのいかだの周りに豊富な小魚がわき、餌になり、また、潮流が速いため味が良いとされ、「瀬戸のアナゴ」と称されています。 |
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アナゴは、江戸後期からカキ(牡蠣)に並んで宮島を代表する食材でした。
「芸藩通志」(1825年完成)には、「阿奈吾(アナゴ)」をメバルやキスと並べて、「皆当島邊(あたり)の産、味佳(か)なりとす」と記しているそうです。
現在云われる、名物「あなごめし」は1901(明治34)年ころ宮島の対岸にある山陽鉄道「宮嶋驛」(現・JR宮島口駅)で駅弁として売られ始めたことで全国に知れ渡るようになり、現在では厳島神社参道には競うように看板が連なるようになっています。 |
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味音痴のわたしですので、「安芸の宮島」編でのあなご飯の編集がのびのびで今になりましたがやっといまになって編集しました。
今回(2012)年宮島口の「うえの」の穴子弁当を弥山から駒ヶ林へ行く時の昼食にと求めました。駒ヶ林で弁当を食べながらみたその商品ラベル、穴子が、韓国、中国産の穴子が使われていました。あれほど瀬戸内海産の穴子にこだわっていた「うえの」でさえいまや国内産の穴子では賄えないほど漁獲量が減少している事のだと思ったのです。
この頁では、あなご飯と今回食べたあなごまぶし飯を取り上げました。 |
12.07.19.裕・記編集 |
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08.05.24撮影 |
広島県廿日市市宮島町大元公園口 みやじま杜の宿 |
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あなごまぶし飯 |
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廿日市市宮島町で食べた「あなご・まぶし飯」です。
※廿日市市宮島町西大西町の“清盛茶屋”で食したウナギではなく“アナゴのまぶし飯”です。 |
まぶし飯と云えば、ひつまぶしを最初に思い浮かびますよね。
(味音痴のわたしですので)メニューをみた時、あなご飯もありましたが、あなごまぶし飯に目がいきました、値段も安かったし、ダイエットにはいいかなとこれを所望し、頁を編集しようと撮影しました。 |
今(2012)年交流ウォーク関連で何度か訪ね昼食の時、あなご飯でも食べるかとなったのですが、ガイド本推奨?の宮島でのあなご飯の店は待つ人の列ができていました。
この西松原の清盛神社を参拝した後、(子どもたちが小さかったころ貝堀で何度も来たことがありこの茶屋も利用したことがありましたが)久しぶりに昼食となったのです。
わたしは、あなご飯を選ばずに(安く、低カロリーであろうと)ここで紹介するあなごまぶし飯を食べました。
この茶屋をあの山下清(1922-1971) 画伯が、1956(昭和31)年来店している事は今回(わたしは)はじめて知りました。 |
(まぶす)
塗す: |
粉などを全体に付着させる。一面に塗りつける。まぶる。例:「きな粉を餅(もち)にまぶす」 |
(ひつ)
櫃まぶし:
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「ひつまむし」ともいい、名古屋風のウナギ飯。
小型のお櫃に茶碗三杯分くらいの飯をいれ、上に刻んだウナギの蒲焼きをのせたもの。
全体をかき混ぜて一杯目を食べ、二杯目は刻みネギ、海苔などの薬味を掛けて食べ、三杯目は煎茶またはだし汁を掛けて茶漬けとして食べる。
ひつまぶしは、(名古屋の)「あつた蓬莱軒」の登録商標だそうです。 |
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12.05.01.撮影 |
広島県廿日市市宮島町西大西町(西松原) 清盛茶屋 |
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12.05.01.撮影 |
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山下清画伯が1956(昭和31)年来店している処の写真が展示されていました。
式場隆三郎(1898-1865):精神科医、山下清の才能に注目し、その活動を物心両面で支えた人。 |
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