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廿日市市宮島町の厳島神社境内に架けられている「長橋」です。 |
長橋は、大国神社脇から後園に通じています。(現在は使用されていません。)
資料によると安土桃山時代に架橋されたそうで、後園にあったという御供所(ごくうしょorごくしょ)からこの橋を渡って神饌(しんせん≒神祇に供える飲食物の総称)が社殿内に運ばれたそうです。
長橋の橋脚は木製ではなく赤間石(あかまいし=赤褐色の輝緑凝灰岩)で出来ており、低い高欄が附いています。 |
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長さ十八間(≒32.8m)、幅一間四尺(≒2.5m)。 |
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明治32(1899)年4月5日国指定の重要文化財 |
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現在後園に当たる境内外のところに記念に残されている巌石に嵌め込まれた記念碑を読むと、
昭和20(1945)年9月枕崎台風による土石流でこの長橋が押し潰されたとありました。 |
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何となくみていたこの長橋でしたが、2007年撮影してこの頁を編集しました。 |
長橋の境内外(陸側)の方に石柱があります。
何の石柱かなと思っていたのですが、立入禁止で近くにいけなかったのですが、宮島観光協会のweb siteに『松浦武四郎(探検家、伊勢の人:1818-1888)が全国の天神社25ヶ所を参拝し、「聖跡25拝」の石碑と鏡を奉納しました。』とありましたので、その奉納石柱なのだとわかりました。 |
関連頁:(菅公)聖蹟二十五拝・碑 |
2015年正月、厳島神社本社を参拝した後、大国神社も参拝しましたので、その時長橋を撮影していましたまので、この頁を見直し再編集しました。
2015年年末厳島神社を参拝し、「聖跡25拝」の石碑などを撮影していました。2018年のいまになりましたがこの頁を更新しました。 |
18.10.23.更新 15.07.01.再編集 07.11.06裕・記編集 |