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廿日市市宮島町の厳島神社境内の長橋の陸側に建立されている「(第二十番)聖蹟二十五拝・碑」です。 |
明治の探検家・松浦武四郎は、天神(菅原道真)信仰に篤く、全国の天神社25ヶ所を参拝し、「聖蹟二十五拝」の石碑と鏡を奉納しました。厳島神社には、長橋の陸側に、1884(明治17)年に奉納の第二十番石碑があります。 |
関連頁:長橋 |
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(菅公)聖蹟廿五拝 (第二十番) 安藝宮嶋連歌屋天神寶前 發起人 松浦武四郎 |
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石柱に刻まれた文字が薄くなっているからだけではなくわたしの漢字判読力のなさから正確に読めていませんが上記のようなことが刻まれているのではと考えました。 |
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松浦武四郎 (まつうらたけしろう:1818-1888) |
江戸末期の探検家。伊勢の人。名は弘(ひろむ)。雅号は北海道人(ほっかいどうじん)
幼時より諸国を巡歴し、特に蝦夷地に関心を持ち、しばしば訪れて多数の紀行文や地図を残した。著「蝦夷日誌」など。
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この石柱があることは気が付いていましたが、何なのかはわからなかったのです。
宮島観光協会のweb siteに『松浦武四郎(探検家、伊勢の人)が全国の天神社25ヶ所を参拝し、「聖跡25拝」の石碑と鏡を奉納しました。』とありましたので、その奉納石柱なのだとわかりました。
2015年年末厳島神社を参拝した後、長橋を撮影して、この石柱も撮影していました。2018年の今になりましたが、この頁を編集しました。 |
18.10.23.裕・記編集 |