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廿日市市宮島町の厳島神社境内に設置されている「高舞台」です。
※平舞台の中に一段高く設置されている舞台です。 |
平舞台の中央に高舞台があります。擬宝珠附の高欄があり、羽目板は黒漆塗りで前後に素木の階段があり、正面5.2m、側面6.4mで33.88uの広さです。
平清盛(1118-1181)が大阪・四天王寺から移したという舞楽がここで演じられます。
舞楽の舞台としては最小のもので、現在の舞台は1546(天文15)年棚守房顕によって作られたものです。
当初は組立て式だったものが江戸時代初期に現在のような作り付け構造になったと考えられています。
舞台 国宝 1952(昭和27)年3月29日指定 |
※解説資料は、宮島観光協会などの資料を参考にしました。 |
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棚守房顕(たなもりふさあき)
中世末に本宮(厳島神社)棚守職が大内氏、毛利氏と結んで権勢を持ち、供僧(ぐそう≒神宮寺に住し仏事を修する僧侶)を率い、弥山を管理した大聖院や社殿の修理造営権を握った大願寺とともに近世まで神社の諸事を統轄したそうです。 |
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宮島へ行って厳島神社にお参りするために拝観料300円を払いお参りするのはいわゆる本殿だけでした。
2007年交流ウォーク関係で訪ねた厳島神社もう少し丁寧にみていこうと思い撮影してこの頁を編集しました。
ここを高舞台ということは説明板で知っていましたが、ここでの舞楽を観たことはまだありません。
2007年10月22日大相撲秋巡業「宮島場所」が行われ、横綱白鵬がこの高舞台で(厳島神社の歴史上初の)土俵入りを奉納した事を報道で知りました。
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2012年高舞台の擬宝珠(ぎぼし、ぎぼうしゅ)に刻まれた文字をみていると、
『「顯房」とありました。資料で知った棚守・房顕が造った高舞台を示すものだと思い、年代も「文天」から間違いないと思い、資料に記述がなかった6月に(竣工したのだと)思いました。』ので、撮影していました。 |
2015年正月参拝に行った時、高舞台で舞楽が演じられていました。
(わたしは)はじめて見るもので、前でみたかったのですが人垣が出来ており、手を高く伸ばし撮影だけはしましたが、舞楽自体は碌に見ることができませんでした。また、舞楽が終わり、舞手が引き揚げる処も撮影しました。
2015年、2012年撮影画像とを加え、この頁を再編集しました。
コロナ禍の2021年正月参拝した時は雨模様でもありましたが、観光客が写らない平舞台を撮影できましたので、画像を加えましました。 |
22.01.18.更新 07.12.15裕・記編集 |