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廿日市市宮島町の「(現在の)厳島神社参拝出口、西回廊」をこの頁で取り上げました。 |
廻廊出口の屋根は唐破風が附いています。
本社祓殿西側からの廻廊を西廻廊といい進むと廻廊を外れて一段高いところがあり大国神社拝殿です。
右に曲がり反橋が左手にあり突き当たりますので、再び右に曲がり行くと突き当たりに能楽屋があります。
そこを左に曲がり(出口へ向かう最後の廻廊部分が少しづつ上りになっています)まっすぐ行くと出口になります。 |
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西廻廊:折曲り延長六十二間、一重・東端切妻造、西端唐破風造、檜皮葺。
東・西廻廊は、永禄年間(1558-1569)から慶長年間(1596-1614)に整備されました。
廻廊(全体)は曲折して諸社殿をつなぎ、その柱間は延長107間(廻廊間数は108間)におよびます。
1952(昭和27)年3月29日に国宝指定。(1899年=明治32年4年5日重要文化財指定) |
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※解説資料は、広島県教育委員会の資料などを参考にしました |
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昔、参拝者は、大鳥居をくぐり、大願寺近くの砂浜(西松原付近)に上陸した後、大願寺の裏にあった大風呂で身を清め、僧坊(現在の大願寺本堂)で休憩、着替えをして厳島神社に参拝したそうです。
いまの厳島神社出口が唐破風造りからも、昔は入口であったことがわかります。 |
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厳島神社へのお参りが終わり廻廊を通って出るのですが、出口部分屋根が唐破風だということを意識してみるようになったのは最近なのです。
昔こちら側が入口であったという名残だそうです。
西松原附近が江戸時代客船の碇泊になっていたということも知りませんでした。 |
2014年になりましたが、厳島神社の紋に注目していませんでしたので、画像を拡大してみました。2015年に改めて撮影しました。
コロナ禍の2021年観光客が写ららない出口付近でした(2007年撮影時は朱塗り用足場がありましたが)ので撮影しました。 |
22.04.18.更新 07.12.26裕・記編集 |