(宮島の)金鳥居の辻

  廿日市市宮島町の塔の岡下の道筋を「金鳥居の辻」とも呼んでいます。
(厳島)名所  金鳥居(かねとりい)の辻        藝州厳島圖會 巻之二天保6(1835)年刊行
ここ塔の岡の下を云います。幸(さいわい)町付近を総称する地名ともなっています。長寛年中(1163-1165)建立と云う、鐡鳥居一基、高さ五丈(約15m)、鉄で廻り八尺(約2.4m)余で、神前より三町(約327m)余で、御王前(ごおうまえ)という所にあり、則ち鉄鳥居の町とも云っていました。
往昔、辻君の住みたる處で、明治初(1868)年までは、柱が幾分か遺っていました。
一説には、足利尊氏(1305-1358)の建てる所で、未だ功を竣えず去ったと伝えられています。
鉄鳥居に参れば護王御社(幸神社)の左の方にありこの下の町を護(午)王の町とも云います。猿田彦大神を祀り道祖神とも云います。伊勢の地主(じすい)神であり、交通の安全、邪霊を払い導く神、金精(こんせい)様で縁結び、子宝にも霊験あらたかとされています。
(つじぎみ)
辻君:
夜道に立って客を誘う売春婦。古くは、市中の路地に店を構えた遊女のこと。夜鷹(よたか)
古くは、路傍に立つ娼婦を「立ち君」と呼んで区別した。
(つじ)
辻:
「つむじ(辻)」の音変化
1)道路が十字形に交わる所。四つ辻。十字路。
2)人が往来する道筋。街頭。
2007年幸神社を参拝して、“町家通り”に戻り桟橋の方に戻る時、この説明板は設置されていませんでしたので、今(2012)年になって通った時、この「金鳥居の辻」之説明板に気が付き撮影しました。
2007年幸神社の頁を編集する時に厳島神社社務所発行「伊都岐嶋」に『石段を降りた所に未完成の鉄鳥居があり、昔はこの辺りに辻君がいたと伝えられています。』とありましたので頁に記述していましたが、この説明板の絵で鉄鳥居の未完成とはこういうことだったのかとわかりました。
18.11.03.更新   12.08.16裕・記編集

12.05.19撮影
広島県廿日市市宮島町469  旅荘かわぐち前       (東側から道筋をみました)

12.05.19撮影

15.12.18.撮影
(西側から道筋をみました)

12.05.19撮影
(説明板の図を使用しました)
しころ
錏;錣
1) 兜(かぶと)の鉢の左右・後方につけて垂らし、首から襟の防御とするもの。
  多くは札(さね)または鉄板を三段ないし五段下りとしておどしつける。
2) 錏頭巾(しころずきん)の三方に垂らした布。
3) 「錏庇(しころびさし)」の略
しころびさし
錏庇
母屋(もや)の屋根より一段低くとりつけた庇。

12.05.19撮影
説明板にある「塔の岡」五重塔があることからそう呼ばれています



  「通り・街道」編



 広島ぶらり散歩へ
幸神社
金鳥居の辻
-撤去-(宮島町幸町)丸型ポスト
-移設-(宮島町幸町)丸型ポスト


「安芸の宮島」編


inserted by FC2 system