(大聖院の)庖丁塚

  廿日市市宮島町滝町の大聖院境内に建立されている「庖丁塚」です。
庖丁は、調理技術者のいのちであり、家庭においては、毎日の食生活に欠かせない大切なものです。
この庖丁塚は、永い間使い果たした、庖丁をおさめて、その恩恵を感謝し、あわせて調理した、鳥、獸、魚、采の霊をなぐさめると共に、調理技術の向上と業界の繁栄、並びに、庖丁のおかげを受けている万民の幸せな日ぐらしを祈念して、多くの庖丁を供養するものです。
石器時代では、調理や見た目をよくする料理の比重は少なく、むしろ解体を目的とする「石匙」であったと考えられます。金属器があらわれるのは、弥生時代で調理に用いたと思われる鉄製の刃物「刀子(とうす)」が発掘されています。
「和名類聚抄」では「刀子」を和名「かたな」とし「小刀」とも呼ばれ、まだ「庖丁」とは云われていません。
庖丁の名は、中国の「荘子」養生篇に出てくる料理人の名からおこったもので「庖丁解牛」とある、牛を解体することが転じて、技術の妙を讃美する言葉となり、厨を庖屋といい、庖には台所の意もあり、丁は使用人の意で、庖厨にあって、魚鳥を料理する人を云いましたが、後に魚類を切刻む庖丁刀を略して庖丁と云うようになりました。
  -後略-
2007年大聖院を訪ねた時に、この庖丁塚をみて撮影していましたが、碑文を読んで頁を編集していませんでした。
2011年尾道の浄土寺で庖丁塚をみてここにもあったのかと頁を編集しました。2012年になりましたが、庖丁塚の周りの状況がわかる所を撮影し、この頁を編集しました。
12.08.20裕・記編集

12.05.01撮影
                広島県廿日市市宮島町滝町  大聖院

07.10.24撮影

07.11.17撮影

07.10.24撮影

07.11.17撮影

12.05.01撮影



「その他」編
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