(大聖院の)釈迦牟尼の生涯(概説)

  廿日市市宮島町の大聖院境内に設置されている「釈迦の生涯説明図」をこの頁で取り上げました。
釈迦牟尼(しゃかむに:紀元前463?-紀元前383?)
パーリ語形:ゴータマ・シッダッタ(Gotama Siddhattha)。サンスクリット語形: ガウタマ・シッダールタ
仏教の開祖。世界三大聖者の一人。紀元前5世紀ごろ、インドの釈迦族の王子として誕生。
29歳で宗教生活に入り、35歳で成道した。45年間の布教ののち、80歳の2月15日入滅。
釈尊(しゃくそん)。釈迦如来(しゃかにょらい)。釈迦(しゃか)。仏陀(ぶつだ)。
生誕の地
 ルンビニー
インド国境から8kmほど入ったネパールの一農村の片隅にあります。
瀟洒(しょうしゃ)なマーヤー堂が鎮座して誕生仏が祀られています。傍らには、釈迦誕生の際に沐浴(もくよく)したと伝えられる池と、巨大な(印度)菩提樹が緑豊かに茂っています。
成道の地
 ブッダガヤ
釈迦は王子たる豪奢な生活を一切捨て、厳しい苦行(くぎょう)に身を投じました。そこで苦行を極めた後、自らの方法でついに新たな道を切り拓きました。かくして、釈迦は魔王の誘惑を退け、大いなる悟りを開きました。仏陀(ぶっだ)の誕生の地です。
初転法輪の地
 サールナート
ブッダガヤで悟りを開いた釈迦が最初に説法を行ったのがこの地です。
同じ修行を重ねていた5人の僧に真理を語って聞かせたのが、仏教の教団の第一歩になりました。
僧伽の拠点の地
サヘート・マヘート
3人から5人のビック(比丘=僧)による集団をサンガ(僧伽)と称し、修行の最小単位としました。
規律を定め、行いを正しくして、相互に切磋琢磨するために組織したのです。
最初は人里離れた森に設けられましたが、多くの人を迎えるために適当な地を求め、寄進を集めて精舎が設立されました。コーサラの都シュラヴァスティ(舎衛城)の郊外に建てられた祇園精舎もその一つです。雨を避けて一箇所に留まる夏安居(げあんご)には最も多く使われています。
王舎城の地
 ラージギール
35歳で正覚(しょうがく)を得て、80歳で入滅するまでの45年の間、釈迦はインド各地を遍歴しながら、自らが体得した真理の布教に努めました。
この王舎城(ラージャグリハ:現・ラージキール)には5棟の精舎があり、しばしば留まって教えを説いた場所です。
涅槃の地
 クシナガラ
入滅の地には大涅槃塔が建立されて、紀元5世紀頃には堂々たる涅槃(ねはん)像も横たえられました。
像は地中に埋没しましたが、19世紀に発掘され入念に復元され現在の姿になりました。ビルマ僧によって建立された大般涅槃堂の中に安置され、静かに大いなる眠りについています。
生誕の図
 ルンビニー
マーヤーの右脇から生まれ落ちたシッダールタは、金色の光を放ち、今咲いた蓮の花の上に乗って「天上天下唯我独尊」と唱えました。(サールナート、ムーラ・ガンダクティ寺院内)
四門出遊の図
 
四つのお願いがあります。
第一は、私が決して老いないこと。
第二は、私が決して病にならないこと。
第三は、私が決して死なないこと。
第四は、それらのすべての災いによって不幸にならないこと。
この四つの願いをかなえなえていただけるのでしたら、私はこの国の王を継ぎましょう。しかし、もしかなわないのでしたらどうか出家させていただきたいのです。と云って悩んでいる図です。
苦行の図 スジャータに乳粥(ちちがゆ)を捧げられるシッダールタ。
乳粥を食すると、シッダールタの衰えた身体はもとどおりになり、金色の光を放ったといわれています。背後では五比丘が様子をうかがっています。(サールナート、ムーラ・ガンダクティ寺院内)
成道の図
 ブッダガヤ
私は善なるものを求め、無上の絶妙なる静寂の境地を求めて、ウルヴェーラのセーナ村に入りました。ここは愛すべき地域です。麗しい森林があり、清浄な川があり、豊かな村落がありました。私はここに座を占めました。修行に適する場所だったからです。
(しゅっけ)
出家:
世俗の生活を捨て、僧となって仏道を修行すること。また、その人。
(じょうどう)
成道:
仏語。菩薩(ぼさつ)が修行して悟りを開き、仏となること。
特に、釈迦が仏になったこと。成仏得道(じょうぶつとくどう)。
(てんぼうりん)
転法輪:
仏が教えを説くこと。説法。
法輪は仏の教えを転輪王の武器である輪宝になぞらえたもので、転は説くこと。
(ねはん)
涅槃:
(梵語)吹き消すことの意、仏語。
1 煩悩(ぼんのう)の火を消して、知慧(ちえ)の完成した悟りの境地。
  一切の悩みや束縛から脱した、円満・安楽の境地。仏教で理想とする、仏の悟りを得た境地。
2 釈迦(しゃか)の死。
(くぎょう)
苦行:
2 仏語。激しく肉体を苦しめる行いによって精神を浄化し、悟りを得ようとする修行。
1 つらさに耐えて仕事をすること。
(にゅうめつ)
入滅:
滅度(めつど)すなわち涅槃にはいること。釈迦の死、高僧などの死にいう。
還暦も既に過ぎ去ったわたしが、半世紀以上も前の事を絞り出すこと自体が正確ではなく(いまになって得た知識で補完しているという事での記述という事をお許し願って)書いています。
昔々通っていた(いまは廃園になっている)幼稚園で甘茶を小さな像にかけていた行事があったと記憶にあるのです。
いまになり知った事ではあるのですが釈迦の誕生を祝った「花まつり」という行事だったのです。
わたしは、仏教徒(浄土宗宗徒)と思っていますが、お釈迦様について学んだことはほとんどありません。
ここ大聖院(真言宗寺院)でお釈迦様の生涯を取り上げた展示物をみましたので撮影しこの頁を編集しようと思ったのです。
理工系で学んできたわたしですが、、高校時代世界史で、お釈迦さまを釈迦牟尼と云い、ゴータマシュッタルータという事を知りましたがそれ以上の関心はなかったのです。
友人、先輩を喪っていく年齢になったわたしはいまごろになって釈迦の生涯(のほんのわずかでしかありませんが)を学んでいるというところです。
 12.09.05.更新    12.09.04.裕・記編集

12.05.19撮影
 広島県廿日市市宮島町210 (大聖院境内)

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(ブッダ)生誕の地 成道の地 初転法輪の地 僧伽の拠点の地 王舎城の地

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涅槃の地 誕生の図 四門出遊の図 苦行の図 成道の図

12.05.19撮影
涅槃佛 と 釈迦の生涯説明図
ねはんぶつ
涅槃仏
釈迦が入滅する様子を仏像としてあらわしたもの。
寝仏、寝釈迦像、涅槃像とも呼ばれ、主にタイの寺院などで見ることが出来、足の裏には宇宙観を示す文様などが描かれています。



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