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廿日市市宮島町の大聖院境内に設置されている「釈迦の生涯説明図の詳細」をこの頁で取り上げました。 |
釈迦牟尼(しゃかむに:紀元前463?-紀元前383?)。 サンスクリット語形: ガウタマ・シッダールタ
パーリ語形:ゴータマ・シッダッタ(Gotama Siddhattha)。 |
仏教の開祖。世界三大聖者の一人。紀元前5世紀ごろ、インドの釈迦族の王子として誕生。
29歳で宗教生活に入り、35歳で成道した。45年間の布教ののち、80歳の2月15日入滅。
釈尊。釈迦如来。釈迦。 |
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ここ大聖院(真言宗寺院)でお釈迦様の生涯を取り上げた展示物をみましたので撮影しこの頁を編集しようと思ったのです。
この頁は、概説版で取り上げていたそれぞれの画像・絵を拡大版で紹介し、わからない言葉などを辞書などを引いて記述しました。 |
12.09.05.裕・記編集 |
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生誕の地 ルンビニー |
インド国境から8kmほど入ったネパールの一農村の片隅にあります。
瀟洒(しょうしゃ)なマーヤー堂が鎮座して誕生仏が祀られています。傍らには、釈迦誕生の際に沐浴(もくよく)したと伝えられる池と、巨大な(印度)菩提樹が緑豊かに茂っています。 |
ルンビニ
Lumbini
藍毘尼 |
ネパールの南部タライ平原にある小さな村。
仏教の開祖・釈迦(本名・サンスクリット語:ガウタマ・シッダールター)の生まれたとされる地。仏教の八大聖地の1つです。世界遺産ルンビニとして1997年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。 |
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12.05.19撮影 |
広島県廿日市市宮島町210 (大聖院境内掲示:生誕の地 ルンビニー) |
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成道の地 ブッダガヤ |
釈迦は王子たる豪奢な生活を一切捨て、厳しい苦行(くぎょう)に身を投じました。そこで苦行を極めた後、自らの方法でついに新たな道を切り拓きました。かくして、釈迦は魔王の誘惑を退け、大いなる悟りを開きました。仏陀(ぶっだ)の誕生の地です。 |
ブッダガヤ
仏陀伽邪 |
インド北東部、ビハール州の宗教都市ガヤーの南方約11kmにある仏教遺跡。
釈迦(如来)の成道(悟り)の地で、八大聖地の1つ。ボードガヤーとも表記する。特に仏教では最高の聖地とされています。 |
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12.05.19撮影 |
広島県廿日市市宮島町210 (大聖院境内掲示:成道の地 ブッダガヤ) |
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初転法輪の地 サールナート |
ブッダガヤで悟りを開いた釈迦が最初に説法を行ったのがこの地です。
同じ修行を重ねていた5人の僧に真理を語って聞かせたのが、仏教の教団の第一歩になりました。 |
サールナート
Sarnath |
インド北部、ワーラーナシ(ベナレス)市郊外にある仏教遺跡。
ここは、ブッダガヤで釈尊が成道(じょうどう)して最初に訪れ、5人の比丘(びく)に説法した所、つまり初転法輪(しょてんぼうりん)の地として名高い。
今日ではダメーク・ストゥーパ(高さ43.6m)をはじめグプタ朝の僧院址(し)が発掘されたままの状態で残り、遺跡に隣接した博物館にはアショカ王建立の柱頭ライオン像や、グプタ朝の初転法輪を表した有名な仏陀(ぶっだ)像をはじめ、多くの石像が陳列されています。
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12.05.19撮影 |
広島県廿日市市宮島町210 (大聖院境内掲示:初転法輪の地 サールナート) |
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僧伽の拠点の地 サヘート・マヘート |
3人から5人のビック(比丘=僧)による集団をサンガ(僧伽)と称し、修行の最小単位としました。
規律を定め、行いを正しくして、相互に切磋琢磨するために組織したのです。
最初は人里離れた森に設けられましたが、多くの人を迎えるために適当な地を求め、寄進を集めて精舎が設立されました。コーサラの都シュラヴァスティ(舎衛城)の郊外に建てられた祇園精舎もその一つです。雨を避けて一箇所に留まる夏安居(げあんご)には最も多く使われています。 |
サヘート・マヘート
Saheth Maheth
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仏教八大聖地の一つで、隣接した二つの遺跡群をまとめた呼称。
ヒンドスタン平原の中、ガンジス川の支流ラプチ川に接している。
現在はインドのウッタル・プラデーシュ州に位置し、ニューデリーからほぼ東へ600km、ネパールとの国境に近い。 |
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そうぎゃ
僧伽 |
(梵語)saghaの音写。集団・会合の意。
仏道修行をする僧の集団。広く在家を含めた集団をいうこともある。
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ぎおん
しょうじゃ
祇園精舎 |
(梵語)Jetavana-vihraの訳
須達(しゅだつ)長者が、中インドの舎衛城(しゃえじょう)の南にある祇陀(ぎだ)太子の林苑を買い取り、釈迦とその教団のために建てた僧坊。祇陀林寺。 |
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12.05.19撮影 |
広島県廿日市市宮島町210 (大聖院境内掲示:僧伽の拠点の地 サヘート・マヘート) |
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王舎城の地 ラージギール |
35歳で正覚(しょうがく)を得て、80歳で入滅するまでの45年の間、釈迦はインド各地を遍歴しながら、自らが体得した真理の布教に努めました。
この王舎城(ラージャグリハ:現・ラージキール)には5棟の精舎があり、しばしば留まって教えを説いた場所です。 |
おうしゃじょう
王舎城 |
(梵語)Rjaghaの訳。
古代インド、マガダ王国の都ラージャグリハの漢名。
現在のインド・ビハール州の首府であるパトナから南方約96kmに位置する場所にあり、ラジギール(ラージギール、ラージギル、ラージュギルとも)と呼ばれ、付近に霊鷲山(りょうじゅせん)や竹林精舎などの遺跡があります。 |
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12.05.19撮影 |
広島県廿日市市宮島町210 (大聖院境内掲示:王舎城の地 ラージギール) |
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涅槃の地 クシナガラ |
入滅の地には大涅槃塔が建立されて、紀元5世紀頃には堂々たる涅槃(ねはん)像も横たえられました。
像は地中に埋没しましたが、19世紀に発掘され入念に復元され現在の姿になりました。ビルマ僧によって建立された大般涅槃堂の中に安置され、静かに大いなる眠りについています。 |
クシナガラ
クシーナガル
Kushinagar |
古代インドのガナ・サンガ国であったマッラ国(末羅国)の二大中心地のひとつで西の中心地であり、現在のインドのウッタル・プラデーシュ州東端のカシア付近の村。
釈尊入滅の地とされ、四大聖地のひとつ。
死期を悟った釈尊は霊鷲山(ビハール州)から生まれ故郷に向う途中にこの地で亡くなる。
純陀(チュンダ)の供養した「スーカラ・マッダヴァ(sukara maddava)」(豚肉料理、あるいは豚が探すトリュフのようなキノコ料理とも)を食して激しい下痢を起こしたのが原因とされる。
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ねはん
涅槃 |
(梵語)吹き消すことの意、仏語。
1 煩悩(ぼんのう)の火を消して、知慧(ちえ)の完成した悟りの境地。
一切の悩みや束縛から脱した、円満・安楽の境地。仏教で理想とする、仏の悟りを得た境地。
2 釈迦(しゃか)の死。 |
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12.05.19撮影 |
広島県廿日市市宮島町210 (大聖院境内掲示:涅槃の地 クシナガラ) |
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生誕の図 ルンビニー |
マーヤーの右脇から生まれ落ちたシッダールタは、金色の光を放ち、今咲いた蓮の花の上に乗って「天上天下唯我独尊」と唱えました。(サールナート、ムーラ・ガンダクティ寺院内) |

12.05.19撮影 |
広島県廿日市市宮島町210 (大聖院境内) |
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四門出遊の図 |
四つのお願いがあります。
第一は、私が決して老いないこと。
第二は、私が決して病にならないこと。
第三は、私が決して死なないこと。
第四は、それらのすべての災いによって不幸にならないこと。
この四つの願いをかなえなえていただけるのでしたら、私はこの国の王を継ぎましょう。しかし、もしかなわないのでしたらどうか出家させていただきたいのです。と云って悩んでいる図です。 |
しゅっけ
出家 |
世俗の生活を捨て、僧となって仏道を修行すること。また、その人。 |
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12.05.19撮影 |
広島県廿日市市宮島町210 (大聖院境内) |
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苦行の図 |
スジャータに乳粥(ちちがゆ)を捧げられるシッダールタ。
乳粥を食すると、シッダールタの衰えた身体はもとどおりになり、金色の光を放ったといわれています。背後では五比丘が様子をうかがっています。(サールナート、ムーラ・ガンダクティ寺院内) |
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ゴータマ・シッダールタは、山に入り苦行を始めるが、苦行に疑問を感じ、快楽でもなく
(*快楽と云うと性的快楽を指すことが多いが、この場合は幅の広い意味での快楽≒欲望の赴くままの人生)、自身の身を痛める苦行でもなく、「中道」
にこそ真の道があるとの悟りを開き、山を降りました。
山を降りたものの、それまでの苦行のため、身は窶(やつ)れ弱っていました。
そこへ、村の娘スジャータが通りかかり、窶れたシッダールタを見て、「乳粥」を与え、シッダールタは体力を回復します。この後、シッダールタは、(印度)菩提樹の下で瞑想に入り、輪廻からの解脱の悟りの境地に達しました。 |
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12.05.19撮影 |
広島県廿日市市宮島町210 (大聖院境内) |
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成道の図 ブッダガヤ |
私は善なるものを求め、無上の絶妙なる静寂の境地を求めて、ウルヴェーラのセーナ村に入りました。ここは愛すべき地域です。麗しい森林があり、清浄な川があり、豊かな村落がありました。私はここに座を占めました。修行に適する場所だったからです。 |

12.05.19撮影 |
広島県廿日市市宮島町210 (大聖院境内) |
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