宮島まちづくり交流センター

  廿日市市宮島町に建設され2021年開所した「宮島まちづくり交流センター」です。
※旧宮島町役場の跡地に設計施工で建設されました。
※命名権を広島電鉄が得て、「etto(エット)宮島交流館」と呼ばれるようになるようです。
2021(令和3)年4月5日中國新聞記事によると
廿日市市は、宮島まちづくり交流センター「etto(エット)宮島交流館」の開所式典を4月3日に催した。
目的は、宮島島民の地域活動の拠点で、観光客たちと交流を図る場にもなる為。
建物は、鉄筋コンクリート造地下1階、地上3階建て、延べ面積約2,000u。
建物の設計・施工は、五洋・増岡・あい特定共同企業体が担った。
内部には、多目的ホール(最大350人収容)や調理室、工作室、集会室などを備え、3階には展望室を設けた他、正面入口横に長さ7.7m、重さ2.5tの大杓子(しゃくし)を展示するなど、観光客も楽しめる造りになっている。
外観は、周囲の町家との調和を図った土壁と木の縦じま柄で、屋根には瓦を採用した。
事業費は、約22億6千万円。廿日市市と旧宮島町の合併に伴う合併特例債を活用し、財源の95%は国が負担。
命名権を、広島電鉄が、年110万円で(2021年4月〜2026年3月)購入した。
現地であった開式典には、関係者約30人が参加。松本太郎(1969-  )市長は「旧町役場があった島の中心的な場所。まちづくりの拠点として活用してほしい」とあいさつした。

と「宮島まちづくり交流センター」の概要がわかる内容でしたので、記事を参照しました。
大杓子は、もともと表参道商店街の一角にあったが、観光案内所を備えた「TOTO宮島おもてなしトイレ」の整備に伴い、2018(平成30))年6月に撤去されていました。
  関連頁:(裕編集)世界一の大杓子
旧町役場の跡地活用を検討する中、島民の活動拠点で耐震性に課題があった宮島市民センターの機能を移転し、2.5倍の広さに拡充されました。
施設名称の「etto」は広島弁で「たくさん」を意味する言葉。
宮島口の(広島電鉄の)商業施設もetto(エット)と名付けられています。
宮島町略沿革
近世 広島藩の4町制(広島城下・三原城下・尾道・厳島)の一つの直轄地でした。
1889 明治22年4月1日 町村制施行により、佐伯郡厳島町が発足。
1950 昭和25年11月3日 厳島町から宮島町に町名変更
2005 平成17年11月3日 廿日市市に編入合併され、佐伯郡宮島町は消滅した。
2021年1月22日コロナ禍の中、宮島も閑散としていると聞いていたので、息子と訪ねたのです。
そのとき、厳島神社を参拝し帰るときにここ旧宮島支所にも立ち寄ったのです。
みると、新しい建物になっていたのです。
その時わたしにはわからなかったのですが、4月6日中國新聞報道で、「宮島まちづくり交流センター」であったことそして4月3日に開所式典が行われたことを知ったので、内部の画像などはありませんがこの頁を編集しました。
 21.04.07.裕・記編集

21.01.22.撮影
廿日市市宮島町412番地  

21.01.22.撮影
(オープンへの)準備中でした



「建物など」編



広島ぶらり散歩へ
(旧)宮島町庁舎
 宮島奉行所跡・石碑
 (旧)宮島町憲章碑
  宮島まちづくり交流センター
   オオミゴケ〔貴重種〕


「安芸の宮島」編


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