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佐伯郡宮島町の厳島神社に建立されている「(厳島神社)大鳥居に関する資料」を取り上げました。
※大鳥居の歴史(現在の大鳥居は八代目という通説)
※大鳥居(正面側面)各部名称説明図〔宮島民俗資料館に展示〕
※嚴島大鳥居之圖・大鳥居建立等の年代・表〔宮島民俗資料館に展示〕
※2005年佐伯郡宮島町は廿日市市と合併編入されましたので、現在は廿日市市宮島町に建立。
※厳島神社の社殿の前に広がる「玉御池(たまみいけ)」と呼ばれる入江と外海との境目に建っています。 |
厳島神社を参拝して西側が出口になっていますが、そこからそう遠くない処に「宮島歴史民俗資料館」が開館しています。折角宮島に来たのであれば宮島の歴史に触れることができる宮島歴史民俗資料館をぜひ訪ねてみられたらとお勧めです。
その宮島歴史民俗資料館で大鳥居の展示資料で大鳥居の歴史を知ることができました。 |
嚴島大明神と呼ばれていた時の額が描かれていました、また伊都岐島大明神(内面:神社側)も描かれていました。 |
07.11.11更新 03.11.29裕・記編集 |
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大鳥居の歴史(現在の大鳥居は八代目という通説) |
※ |
現在の大鳥居は、
1899(明治32)年4月5日国の重要文化財に指定され、
1963(昭和38)年12月26日棟札2枚追加指定されています。 |
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現在の大鳥居は九代目という新説については大鳥居-概説-で取り上げていますので、そちらを。 |
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歴代 |
建立・再建 |
倒壊年代 |
用材採集地・備考 |
初代 |
1168(仁安3)年 |
不明 |
不明 (創建については詳らかではありません。) |
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平清盛の仁安三年の造営から記録がありこれを初代と考えているのです。 |
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二代 |
1286(弘安9)年 |
1325(正中2)年 |
不明 |
三代 |
1371(応安4)年 |
不明 |
真柱東 佐西郡八王子(広島市佐伯区利松)真柱西 佐伯郡宮内村薬師堂前(廿日市市宮内)その他宮島杉之浦・大川から材木調達 |
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記録には南朝元号・建徳二年で示されているものもあります。 |
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四代 |
1546(天文16)年 |
不明 |
安芸郡・賀茂郡・佐東郡・佐西郡・能美島 |
五代 |
1561(永禄4)年 |
1715・1716年
(正徳5・享保元) |
真柱楠 能美島大原(大柿町)・中村(能美町)その他の松・杉など仁保島(脇柱2本)・佐東郡八幡山・矢野坂八幡山・大竹・宮島、周防多田・岩国 |
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※ |
永禄4年4月毛利元就、輝元を檀那(だんな)として再建されました。 |
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六代 |
1739(元文4)年 |
1776(安永5)年 |
真柱 東 広瀬明神(広島市)・安芸郡蒲刈 西 安芸郡府中八幡・同新宮(船越町)その他 佐伯郡地御前社・同速田社(廿日市市)・同多田八幡(湯来町)・同吉和・安佐郡祇園社・同三入八幡・高田郡戸島村八幡(向原町)・安芸郡吉浦・矢野村・豊田郡床浦明神(竹原市忠海町) |
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※ |
元文4年浅野吉長が重造しました。安永5年落雷で焼失 |
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七代 |
1801(享和元)年 |
1850(嘉永3)年 |
楠3本 紀伊国牟婁郡その他佐伯郡恵下山・同伏谷村(湯来町)・山県郡津浪村(加計町)・安芸郡宇品島・豊田郡吉名村(竹原市)・同中河内村(河内町)・賀茂郡広村、宮島弥山
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※ |
享和元年浅野斉賢(退任中の重晟の志を継いで)重造復旧 |
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八代 |
1875(明治8)年 |
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楠、日向国児湯郡岡富村(西都市)・讃岐国和田浜(観音寺市※)、宮島亀居山麓その他、宇品島、宮島内弥山・奥院・多々良潟など |
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※ |
1911(明治44)年脚元修理。 |
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1925(大正14)年脚元に鉄筋コンクリートの根巻を施す。 |
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1951(昭和26)年大鳥居の一部(根元部分)が取替えられました。 |
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※ |
大鳥居の創建についてはつまびらかでないのです。
最古の記録がある平清盛の仁安3(1168)年の造営のものを初代とするとしているだけだそうで、其れから数えると現在のものは八代目となります。
厳島神社を描いた「一遍聖絵・第十巻」正安元(1299)年には、社殿前に明神鳥居が描かれています。(別頁)
現在の両部大鳥居の形式になったのは、天文16(1547)年大内義隆(戦国武将:1507-1551)などが中心になって行った再建時と云われています。 |
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一遍(いっぺん:1239-1289)鎌倉中期の僧。時宗の開祖。伊予の豪族河野通広の第2子。諡は円照大師。 |
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讃岐国和田浜(丸亀市)と記述していましたが、観音寺市とのご指摘をいただき訂正しました。
丸亀藩でしたが現在観音寺市でした。09.02.24訂正しました。 |
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大鳥居(正面側面)各部名称説明図 |
大鳥居の屋根は桧皮葺で、大鳥居は丹(に)塗りになっています。
主柱の前後に袖柱を建て上下を貫でつなぐ両部鳥居(りょうぶどりい)の形式です。 |
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各部名称:棟木、桧皮葺屋根、笠木、日光、島木、円座、大貫、大柱、角巾、袖柱、袖貫 |
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棟木 |
むなぎ |
屋根の骨組みの頂部に用いられる水平材。棟に用いる木。むねぎ。 |
桧皮葺屋根 |
ひわだぶきやね |
ヒノキ(檜)の皮で葺いた屋根。 |
笠木 |
かさぎ |
鳥居・門・板塀などの上縁に、横に渡す木。冠木(かぶき)。 |
島木 |
しまぎ |
鳥居の笠木の下に渡す長い横木。 |
貫 |
ぬき |
〔横につらぬいているものの意〕建物の柱と柱をつらぬいて横につなぐ材。ぬきぎ。
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柱 |
はしら |
建物の、土台の上に直立し、棟・梁・床などを支えている材。 |
巾 |
きん |
頭をつつむもの、頭巾。 |
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一 一 一 一 一 一
水
馬 袖 大 袖 柱 長 割 ク
千 水 三 貫 千 貫 壱 柱 三 長 サ 寸 サ
七 真 千 八 万 万 凡 法 ビ
百 六 四 百 六 八 三 六 四 二 山
六 六 百 丈 三 丈 百 丈 千 丈 尺 取 五
才 間 十 十 一 才┌┐ 四 八 程 ノ 尺
振 四 七 尺 元 百 尺 ツ 記 四
六 才 才 口 八┌┐ ` 寸
尺 一 十 元 延
┌┐ ┌┐ 丈 才 口 有 ┌┐
二 三 七 二 之 高
尺 尺 尺 丈 さ
九 五 三 七
寸 寸 目 尺 寸
通 五
壱 壱 し 末 部
尺 尺 四 口
一 二 尺 八 厚
寸 寸 見 尺 壱
└┘ └┘ └┘ └┘ 尺
一
二 四 一 四 二 寸
本 本 本 本 本 └┘
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大鳥居建立等の年代
*大鳥居の歴史は上記に詳細を作成しましたのでそちらをみていただければと思います。 |
この表には、
「応仁四年(1470年)出典不明」との記載がありますが、応仁は3年までで、1470年は文明2年と一般的には云われています。
「応安四年とも云う」と併記してあります。この応安四年とは北朝元号で西暦1371年、南朝元号・建徳二(1371)年であることから、この表の応仁四年とあるのは建徳二年とダブります。
∴現在の鳥居が八代目の鳥居と云われています。 |
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(なんちょう)
南朝: |
日本で南北朝時代(1336-1392)に、奈良の吉野を中心に存立した大覚寺統の朝廷。
後醍醐・後村上・長慶・後亀山天皇と四代続いた。吉野朝。 |
(ほくちょう)
北朝: |
日本で南北朝時代(1336-1392)に、京都に都を置いた持明院統の朝廷。
足利氏に擁立された光厳・光明・崇光・後光厳・後円融・後小松の諸天皇が皇位についた。 |
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南北朝合一: |
1391(元中8:明徳2)年明徳の乱で有力守護・山名氏を弱体化させ、武家勢力を統率した足利義満(1358-1408:室町幕府三代将軍在職1368-1394)は、和泉・紀伊の守護で南朝と領地を接する大内義弘(1356-1399)仲介の交渉で南朝から北朝への神器の引渡し、国衙領を大覚寺統、長講堂領を持明院統の領地とする事。皇位は両統迭立(てつりつ=かわるがわる立つ)とする事など3箇条を条件に和睦が成立。
1392(元中9:明徳3)年に後亀山天皇は京都へ赴いて後小松天皇に神器を譲渡し、南朝が解消される形で南北朝合一は成立した(明徳の和約)。 |
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