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中区大手町1丁目地先の元安川のかき船「かなわ」の工事をこの頁では取り上げます。
*わたしは、かき船「かなわ」の移転に対しては賛成(反対ではない)との立場でこの頁を編集しています。
※2018年9月19日「かき船移転巡り裁判 市民団体の請求退ける」ローカルニュースで知ったので追記。
※2019年7月26日広島高裁は、訴えを退けた一審広島地裁判決を支持し、原告側の控訴を棄却しました。
※2019年12月最高裁は、上告を廃却しました。(かき船問題を考える会会報64号で知りましたので追記) |
2015年4月17日太田川河川事務所が浚渫掘削工事を許可。
4月22日工事を開始。10月1日に開店しています。 |
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2014年現在中区元安川にかかる平和大橋の下流に係留されている、かき船「かなわ」とかき舟「ひろしま」は、1991(平成3)年の台風19号の際に流されて平和大橋にぶつかるなどしたために一級河川元安川を管理する国土交通省中国地方整備局は営業に必要な河川占有許可の更新を拒否した上で移転を指導しました。
広島市は、かき船を「広島の食文化で、観光客をひきつける魅力的資源」として2店が営業を続けられるよう国や店などと協議を重ね、その結果国より河川内でありながら水流の影響を受けない死水域2ヶ所の提示を受けました。
「かなわ」へは現在地から約450m北の元安橋下流の移転先を、
「ひろしま」へは本川のアステールプラザ西側への移転先を提示したそうです。 |
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「かなわ」の移転工事に対して市民団体「かき船問題を考える会」などから反対の声が上がり、移転再考を求める28,260人分の署名を集め、広島市に陳情したそうです。
『移転場所元安橋下流側の「ひろしまリバークルーズ」遊覧船桟橋の下流側は、原爆の悲惨さを語り継ぎ、恒久平和を祈る原爆ドームのバッファゾーンにあり原爆死没者慰霊碑や平和祈念碑の多く並ぶ元安橋左岸をビジネスに利用していいのか』というのが反対の主な理由のようです。 |
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現在の移転場所以外で、“利便性がいい場所で死水域”がなかったのかとの気持ちが強いから積極的な賛成とはならないのですが。わたしは次の理由などから賛成の立場です。
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2015年1月29日、日本イコモス国内委員会が「世界遺産原爆ドームバッファゾーン内におけるかき船移動設置への懸念表明」には耳を傾けることが必要だとは思いました。
2006年原爆ドーム近くの高層マンション建設(反対が実現しなかった)ことに比べれば、動かないとはいえ2階建ての遊覧船が停泊していると思えないか?とこのかき船を思ったりします。
もとのかき船「かなわ」が、幅:≒7m、長さ:≒27m から新店舗は、幅≒6m、長さ:≒22mとなっているそうですが2階建てでもはや屋形船風ではない、かき船ではなく浮かぶ牡蠣料理屋になっていますが。 |
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かき船は、江戸期の1660年代から脈々と続く広島の(かき)食文化を伝えるものの一つの形態であり、それを途絶えさせてはならないのではと思っています。(歴史の記述は別頁で編集しています) |
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現在整備されている平和記念公園一帯は戦前広島の繁華街の一つで、人々が遊興でも集っていた場所で、かき船だけで賑わいを創出するわけではないと思いますが、移転先は商売の場所であってもいいと(わたしは)思っています。
移転場所は多くの人が原爆で亡くなった慰霊の場所だから(ビジネスの場所ではなく)静かにしないといけないという意見もありますが、2015年再び“原爆関連の慰霊碑を巡ってきた”わたしは、平和記念公園周辺だけではなく身近な処に建立されている慰霊碑で原爆によって亡くなった人々の思いを受け継ぎ、慰霊の心を伝えることができるのではないかと思います(ので)、
かき船移転場所近くだけが特別な慰霊の場所ではないと思うのです。
元安橋東詰南側のオープンカフェの拡張で“広島郵便局職員殉職の碑”はすっかり影が薄い存在になっています。 |
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関連頁:高層マンション問題(平成18年) 広島郵便局職員殉職の碑 |
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2015年5月台船に2階建ての鉄骨が組み立てられていたところをみてもはや“牡蠣料理を提供する屋形船”ではないな~とわたしは思いました。
2015年8月工事用養生シートが撤去されてみた外観、かき船で料理を食し酒を飲むことを愛した亡きおやじがみたらかき船ではなく川に浮かぶ料理屋で、陸に上がっていった過ってのかき船と同じかなと云うかもしれないと思ったりしました。
ただ、移転先問題で反対の声が上がったこのかき船「かなわ」、周りの環境を配慮したのでしょう。けばけばしさを避けおとなしい色合いの建物になっていました。 |
2018年9月19日ローカルニュースで知り、中國新聞20日の下記記事でもう少し詳しく知りました。
『中区の元安川にある船上飲食店:かき船「かなわ」の原爆ドーム近くへの移転を巡り、周辺住民や被爆者たち19人が、移転を認めた国の河川占用許可は、世界遺産条約に違反するなどとして国に許可の取り消しを求めた訴訟の判決が、9月19日広島地裁であり、小西洋裁判長は原告の訴えを退けた。』ということでした。
『原告は、2015年6月に提訴。その後2017年3月にかき船「かなわ」に10年間の継続利用が許可された。』そうです。 |
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河川法に基づく河川占用許可の違法性を問う原告の適格性が争点になる中、小西裁判長は、災害時にかき船の影響で浸水被害などを受けかねない周辺住民6人だけを「適格」と認定。
その上で「(かき船の)係留力は十分に確保されている」などとして河川占用許可は妥当との判断を示した。
周辺に住んでいない被爆者たち残る原告13人については「河川法は世界遺産の歴史的・文化的価値を享受する利益を保護する趣旨を含んでいない」などとして原告適格を認めめなかった。 |
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原告は、判決後に広島市中区で報告会を開催。
金子哲夫(1948- )原告団長は「原爆ドームの世界遺産としての価値に関わる検討がされておらず、容認できない」と近く控訴する考えを示した。
国は「裁判所に主張が理解されたと考えている」としている。 |
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2019年7月29日中國新聞で次のことを知りました。
『『かき船「かなわ」の原爆ドーム近くへの移転を巡り、移転を認めた国の河川占用許可は景観を損ない、世界遺産条約に違反するなどとして周辺住民や被爆者たち119人が国に許可取り消しを求めた控訴審判決で広島高裁は7月26日、訴えを退けた一審広島地裁判決を支持し、原告側の控訴を棄却した。』 |
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原告は、判決後に広島市中区で報告会を開催。
金子哲夫(1948- )原告団長は「原爆ドームの世界遺産としての価値に関わる検討がされておらず、容認できない」と10月3日最高裁へ上告理由書を提出したそうです。
12月最高裁は上告を廃却したそうです。 |
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わたしは、かき船「かなわ」の移転に対しては賛成(反対ではない)との立場でこの頁を編集していますので、繰り返しになりますが、世界遺産原爆ドームの価値がこのかき船「かなわ」によって損なわれることは無いと思います。
むしろ原爆ドームに近い処で営業しているオープンカフェは「広島郵便局職員殉職の碑」を建立した人たちの心をないがしろにしていると思わずにはおられません。
かき船問題を考える会は、第7回総会(2022年10月8日)をもって閉会となるそうです。 |
122.10.03.更新 16.02.03.裕・記編集 |