|
東広島市西条本町にある「西条四日市御茶屋跡」です。 |
旧山陽道「西条四日市」宿 本陣(御茶屋)跡 昭和61(198)年6月 賀茂鶴酒造株式會社 |
江戸時代、ここ西条は「西条四日市」と称し、旧山陽道最大の宿場町として栄えました。
全国の宿場には、大名の泊まる宿がその土地の名家で営まれ「本陣」と称していましたが、 西条四日市宿場は重要な大宿場駅であったため、広島(浅野)藩が直営でつくり、「御茶屋」と称していました。この場所はその「御茶屋」のあった所です。
建物は、明治維新後賀茂郡役所や賀茂地方事務所に利用されましたが、現在は取壊され、 復元された御門と呼ばれた正門のみ見ることが出来ます。また、石垣の一部には江戸時代の乱積みが残っています。 |
※御茶屋の規模は、(敷地)面積:1488坪(≒4,910u)。部屋数:29。畳の数:214畳半。 |
|
|
|
* |
本来は藩主の公用宿泊施設(御茶屋)でしたが、宿駅の整備・拡充に伴い本陣の役割(公家・幕府役人・大名などの宿泊所)をはたすようになったものです。
なお、「広島藩御覚書帳」によれば広島藩内には九箇所=可部(かべ)・吉田・八木・海田・西条・本郷・吉舎(きさ)・甲山・尾道に置かれたそうです。 |
|
江戸時代の宿場町、四日市の本陣(御茶屋)跡。旧県立醸造支場を訪ねた時に教えていただいたこのあたり、四日市宿の中心です。
この地で仕事もしたこともあるのに四日市という宿場町だったことをこのときはじめて知ったのです。明治時代以降は、賀茂郡の郡役所として利用され、現在賀茂鶴が土地と共に払下げを受け今日まで保存されています。 |
2004年碌に説明板も読むことなく、撮影の露出が巧くなかった画像のまま頁にしていましたので、2009年訪ね改めて説明板も読み、撮影しました。また2006年10月皇太子殿下が酒蔵通りをご視察されたそうでその記念石柱が建てられている事も知りましたので別頁で編集する事にしました。 |
2015年久しぶりに訪ねましたので、この御茶屋の外回りがわかるようにと撮影したつもりですが。 |
18.10.20.更新 10.05.20再編集 04.03.27 裕・記編集 |