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この頁では、宮島と縁ふかい「誓真さん」(という僧侶)について取り上げました。 |
※2005(平成17)年11月3日、佐伯郡宮島町は廿日市市と合併、廿日市市宮島町になりました。 |
誓真さん(1742-1800)(寛保2年-寛政12年)は、もと伊豫※1の人。俗姓は村上。
安藝・廣島の商人※4であったが、天明のころ厳島に渡り光明院で修行し僧となりました。神泉寺(現在は廃寺です)の番僧※2となり、竹林庵に住んでいいました。
種々の公益事業を行ったことで知られています。
飲料水の不足に苦しむ島民のため、各所に井戸を掘りました※3。それらは今日『誓真釣井』とよばれています。
また、石段を築き、道路を石だたみにしました。
宮島名産の「飯杓子」も島民の生業を与えるため、誓真さんが弁財天の琵琶の形から着想して島民に教えたものといわれています。寛政12(1800)年8月6日死去、59歳。 |
2006(平成18)年初詣が終わり,誓真釣井(現存4箇所の内未撮影2箇所)を撮影しようと宮島桟橋の観光案内所でいただいた「宮島の案内絵図」をみながら探し尋ねてやっと撮影したのです。交
流ウォーク探検隊で誓真さんの旧大野町赤碕のお墓を訪ねました。 |
08.02.22更新 04.09.16裕・編集 |
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04.09.08撮影 |
誓真大徳頌徳碑(廿日市市宮島町) |
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※1 |
『島のかをり』昭和5年・坂田軍一著によると(1740-1800)を採用しています。
伊豫(=伊予)いよ=旧国名の一。愛媛県全域にあたる。予州。 |
※2 |
番僧(ばんそう)=交代に仏堂を守護する僧。堂守(どうもり)。 |
※3 |
天明2(1782)年〜寛政7(1795)年までの12年間に、島内の10ヶ所に井戸を築いたと伝えられているそうです。
幸町、魚之棚、南町、西蓮町、久保町、小浦、大西町、中ノ町、浜ノ町、新町の10箇所と云われています。 |
※4 |
広島大工町で米穀商を営んでいたそうです。 |
※5 |
他に、大野町赤碕の御室山にもあるそうです。 |
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安藝(=安芸)あき=旧国名の一。広島県西半分に当たる。芸州。 |
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杓文字(しゃもじ)=めしや汁をすくうのに用いる道具。特に、めしを盛る具。{杓子(しやくし)の文字詞。近世女性語} |
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