「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」第六号碑天満小学校

  西区天満町の天満小学校に設置されている「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」第六号碑です。
地域ぐるみで原爆体験の継承をめざすものであるとの事ですが、現状は決して開放されたものではないのです。
小学生に対する許されざる事件が頻発し、天満小学校も他の市内の小学校同様正門を閉めているので、自由に被爆樹木を碑を見に行くことができないのです。
インターフォンで「被爆樹木」と「被爆者が描いた絵の碑」を撮影したい旨を話しました。先生が出てこられ、樹木と碑へ案内していただき撮影が終わり校門から出ていくまで傍について居られました。
2020年になりましたが、被爆樹木プラタナスを撮影に訪ねましたので、この被爆者が描いた絵碑も久しぶりに見ましたので、碑の回りがわかるようにと撮影しましたのでこの頁を更新しました。
20.11.30.更新    05.12.21裕・記編集

05.11.22撮影
広島市西区天満町1-27  (天満小学校体育館の根際)

05.11.22撮影

05.11.22撮影
被爆したプラタナス と 「プラタナスの碑」(原爆の絵6号碑)と「プラタナスの風が」歌碑
   平和と愛(友情)のシンボル     プラタナスの碑         2004(平成16)年11月21日 
プラタナスは天満小学校の平和と愛(友情)のシンボルとして大切にされています。春になると芽吹き、プラタナスの風が子どもたちを温かく優しく包んでくれます。夏には葉を茂らせ、子どもたちに涼しい木陰をつくってくれます。
このプラタナスは1931(昭和6)年に植えられたものです。1945(昭和20)年8月6日8時15分爆心地から西北西1.2km離れた天満小学校の校庭で被爆し幹に大きな「うろ」ができました。しかし今もしっかりと生き続け子どもたちや地域の人々へ歴史を唐リ続けています。

05.11.22撮影
天満小児童会の折り鶴タペストリー  “おりづる集会”で2004年6月制作
原爆で燃える天満町(絵は木村秀雄さん) 原爆で壊れて天満橋(手前は天満小の焼けあと)

20.01.09.撮影
被爆プラタナスW12b22-01  と  「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」第六号碑

20.01.09.撮影

20.01.09.撮影

20.01.09.撮影

20.01.09.撮影
(碑の後側からみました)



「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」碑・全体
1号碑 西応寺
2号碑 広陵学園
3号碑 広島YMCA
4号碑 ルーテル広島教会
5号碑 広島女学院
6号碑 天満小学校
6号碑  (拡大版)
7号碑 福島生協病院
8号碑 歯科医師会館
9号碑 赤十字原爆病院
10号碑 広島共立病院
   (天満小学校関連)
天満小校内:被爆樹木・プラタナス
被爆者が描いた原爆の絵・碑「第六号碑」
被爆者が描いた原爆の絵・第六号碑:拡大版
創立100周年記念・碑
蒸気機関車C62 2動輪
(天満小南東道路にある)被爆樹木・クスノキ



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