(幟町中学校)被爆樹木・エノキ

  中区幟町の幟町中学校にある「被爆したエノキ」です。
(新しい標識) 被爆樹木  エノキ
A-bombed Trees Japanese hackberryCeltis sinensis var.japonica
            爆心地から1,440m
ここで被爆しました。幹は爆心地方向に傾き、傷痕があります。
被爆樹木 エノキ  A-bombed tree  Japanese hackberry
爆心地から1,420m  Approx.1,420m from the hypocenter
このエノキは、1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐え、生き残ったものです。
もとこの場所は縮景園の敷地でしたが、中学校が開校したとき、学校敷地に取り込まれました。エノキは、原爆の熱線に焼かれ、根元から枝が別れるところまで深いうろになっています。 (樹齢推定100年、高さ≒12m)
2005年広島市国際平和推進部の資料をみて訪ねました。
この時案内して下さった教頭先生に被爆したエノキは二本あることを教えていただきました。
当時(わたし)は、何の疑問も感じることなく撮影し、この頁を編集しました。
2015年になって広島市国際平和推進部の資料を見返していたら、
ここ幟町中学には「エノキ」と「ムクノキ」があることになっていました。
編集のこの頁をみると、確かに同じ樹種・エノキではないように思ったのです。
縮景園へ行く道すがら目にする幟町中学校、佐々木禎子さんが在籍した学校で「折り鶴の碑」が建立されています。
市内の小・中学校は土・日曜には校門を閉鎖無人ですので平日の(2005年)11月22日に訪ねたのです。小学校と同じようにインターフォンで被爆樹木を撮影したい旨を申し出て、教頭先生に案内していただき撮影しました。
立ち話で禎子さんの命日に「折り鶴の碑」の上に大きな鶴を乗せ世界平和を築く決意を表すということですが2001年訪ねたときはなかったのですがと、問うてみたら、平和集会をした日に乗せるので必ずしも命日と一致するわけではないと教えていただきました。
広島市は2001(平成13)年から樹木医による被爆樹木の治療を進めているそうで、2006(平成18)年3月15日ここ幟町中の被爆エノキ2本のうち北側のエノキの治療をしたと報道で知りました。
今(2018年)回久しぶりに訪ね、新しい白色の被爆樹木標識が取り付けてありました。
ここの樹木は、旧黄色の被膜樹木標識が取り付けられていましたのでエノキのままだろうと思っていました。
その通りエノキである新しい白色の被爆樹木でした。
18.06.09再編集    05.12.01裕・記編集

05.11.22.撮影
広島市中区幟町14  (幟町中学校)

05.11.22.撮影
≒南西側(爆心地方向)からみると幹に深い傷跡が見えました

05.11.22.撮影

05.11.22.撮影

06.10.23.撮影
2006年縮景園園内から元気かなとみました

18.03.27.撮影
白色の被爆樹木標識になっていました

18.03.27.撮影
2018年も深い傷痕は消えてはいませんが、エノキの生命力に敬意さえ感じます

18.03.27.撮影

18.03.27.撮影
上部をみました 下部をみました

18.03.27.撮影

18.03.27.撮影
縮景園内からみました



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