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中区千田町の千田小学校にある「被爆したイチョウ」です。
※旧広島高等師範学校(爆心地から1,400m)で被爆し、1960年代後半にここ千田小学校に移植。 |
被爆樹木 イチョウ
A-bombed tree Ginkgo tree (Ginkgo biloba)
爆心地から1,400m
イチョウは、近くにあった広島高等師範学校で被爆したものを、1960年代後半にここに移植したものです。千田小学校には、校内・校外で被爆して広島市が登録している被爆樹木が(平成30年3月1日)現在11本あります。 |
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(旧標識) 被爆樹木 イチョウ
(A-bombed tree Maidenhair tree)
爆心地から1,650m |
千田国民学校は、1945(昭和20)年8月6日の原ばくで校しゃが全焼し、こう堂の曲がった鉄こつだけが取り残されました。
戦後、ひばくしたこう堂の鉄こつは、し育しゃとしてさい生され、げんざいも利用されています。このイチョウは、し育しゃととともに学校内で原ばくにたえ、生き残ったもので、みきにはひばくのこんせきがきざまれています。 |
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(古代遺跡のイチョウ) |
このイチョウは、広島高等師範学校(現:中区東千田町)で被爆しました。その時には枝も折れ、枯れ木のようになってしまいました。
千田小学校に古代遺跡を作る時に殺風景なのでこの地に持ってきました。原爆や火事にもあったり、また古代遺跡を作る時クレーンで石を吊り上げようとしてそのワイヤーロープがイチョウの枝に引っかかって裂けてしまったそうです。その時針金ででくくって様子を見ていたら、何ヶ月かしたら青い新芽が出てきたそうです。
このように三つの被害にあいながらも、今でも元気に生きています。千田小物語の中で酒井さんが新しい芽が出てきたときにはそれは喜んでいた。と書いてありました。私達はこの木を勉強して原爆の恐ろしさを伝えるこの木を大切にしないといけないんだな〜と思いました。それに原爆の恐ろしさをみんなに伝えたいです。 |
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4年3組が付けた説明板 |
広島市市民局国際平和推進部作成の被爆樹木の資料をみて2005年訪ねたのです。資料にはイチョウ、カイヅカイブキなどとありました。そして学校に行ってみてなどがマツということを知りました。
以前原爆関連の慰霊碑を撮影にきた時は被爆樹木のことは知りませんでした。 |
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今(2009年)交流ウォークで千田小学校に行くことになっていたので、この被爆したイチョウ元気なのかと思っていたのです。案内してくださった先生の話では、今でも秋になると黄葉になりますとのことで、傷ついてはいますがそれなりに元気なようでしたので、2009年撮影したこのイチョウ画像を追加しました。 |
2016年みた時親木は既に枯死したようにわたしにはみえました、しかし根回りにひこばえが育っており柵が設置されてそのひこばえを大事に育てようとしているように思いました。 |
19.01.18.更新 05.12.02裕・記編集 |