(いまは枯れた旧陸軍病院)被爆樹木・エノキ

  中区基町の太田川土手下(県営基町住宅西側)の「枯死した被爆エノキの幹」です。
*土手上には広島陸軍病院(原爆死没者)慰霊碑などが建立されています。
 
1945(昭和20)年8月6日陸軍病院の庭にそびえていたこのエノキの大木も、原爆の熱に焼かれ黒焦げになりました。
幹が大きな空洞があるエノキでしたが、やがて枝をのばし葉を広げたくましくよみがえりました。その後、エノキの生命力に感動した地元(基町小学校)小学生によって大切に育てられていましたが、1984(昭和59)年8月の台風10号で幹が二つに折れていまいました。枯れる寸前となったエノキの手当てを行ったところ一時は新芽を吹き出すまでに回復しました。しかし1988(昭和63)年ついに枯れてしまいました。
多くの人たちに見守られながら枯れていった被爆エノキについて、忘れることがないよう説明板を設置し、平和の尊さをうったえるものです。      1995(平成7)年8月
広島第2陸軍病院跡・エノキ 爆心地から≒1110m (被爆当時町名も基町)





































































































 










 








































































被爆エノキ(へ贈る言葉)
-被爆エノキの幹(モニュメント)について-
1996(平成8)年6月根株の周りを掘りコンクリートで包み込み、地上部もモルタルで包み込み、水性塗料で元気なころの幹の状態に近い姿に(保存工事:基町小学校教職員自らの手により)したそうです。
広島市市民局国際平和推進部作成の被爆樹木資料をみてもありません(枯れているからでしょう)・
2003年この西側すぐ(土手の上に)広島陸軍病院原爆慰霊碑が建立されており慰霊碑を撮影した時に、この(枯死した)被爆エノキも撮影していたのです。
今(2006年)回交流ウォークで訪ねましたので、被爆エノキ2世を撮影しました。
2015年被爆70年ということで、広島陸軍病院慰霊碑を訪ね頭を垂れましたので、久しぶりにこの被爆エノキモニュメントも撮影しましたので、この頁を再編集しました。
16.03.09.再編集   06.12.27更新  05.12.03裕・記編集

03.06.17.撮影
広島市中区基町17 太田川土手下(県営基町住宅西側)

03.06.17.撮影
(説明版の画像を使用しています)
昭和59(1984)年5月 昭和61(1986)年5月

06.03.18.撮影
(手前)被爆エノキ二世 と (奥側)枯死した被爆エノキの幹(モニュメント)

06.03.18.撮影
被爆エノキモニュメントの柵の中に被爆エノキ2世が植えられています

06.03.18.撮影

15.03.15..撮影
(2015年久しぶりに撮影しました)

15.03.15..撮影

15.03.15..撮影
被爆エノキ(モニュメント)

15.03.15..撮影

15.03.15..撮影
被爆エノキ2世(よく目でしょうか2006年よりも)幹が太くなったと感じましたが

15.03.15..撮影



「被爆した樹木一覧」編


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