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中区白島北町の祇園新道緑地帯に移植されている「被爆クスノキ(たち)」です。
※もともとこの付近で被爆したクスノキ並木が、後に現在地へ移植されました。
※爆心地から2,100mの位置でした。
*2015年から市内各所の被爆樹木に順次新しい白色被爆樹木標識が取り付けられました。
ここ白島北町の12本の被爆クスノキに取り付けられています(個々の木々は別頁で編集しました)。 |
ここ中区北町の国道54号祇園新道の西側緑地帯に被爆クスノキがあります。
もともとは、この辺りで被爆したクスノキでしたが、1993(平成5)年祇園新道の拡幅整備に伴いその支障となることから現在の緑地帯に被爆クスノキ(12本)を移植されたそうです。 |
(以前の標識) 被爆樹木 クスノキ
A-bombed tree Camphor tree
爆心地から2,100m
Approx.2,100m from the hypocenter |
このクスノキの並木は、1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐え、生き残りました。 |
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(新しい標識) 被爆樹木 クスノキ
A-bombed treeCamphor tree (Cinnamomum camphora)
爆心地から2,100m
この付近で被爆したクスノキ並木が、後にここへ移植されました。 |
二種類の標識になっています。 |
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県や市施設の命名権を販売することで少しでも収入を得ようとしていることで、
ここでいう旧称・広島郵便貯金会館は、正式にはどうも「広島県立文化芸術ホール」というらしいのです。
1972年10月広島郵便貯金会館として開館。2007年県営施設となり、
2007年7月1日〜2012年6月30日ALSOKホールと(広島綜合警備保障により)命名されていました。
2012年7月1日から6年間上野学園ホールとなりました(2020年現在も)。 |
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広島市の被爆樹木の資料では、中区白島北町19(上野学園ホール東側)としています。
命名が変るごとに館名を変えていくのでしょうが、国道54号祇園新道白島北町西側緑地帯というような変らない名称が良いのではとわたしは思いましたので、敢えて記述していましたが。
広島市の被爆樹木リスト(平成31年4月1日現在) に「広島県立文化芸術ホール東側・被爆クスノキ」としていますのでそれに倣うことにしました。 |
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2006年8月22日昼のNHKローカルニュースで
『この場所の被爆したクスノキ12本の樹木活力回復を国交省広島国道事務所が行っていると・・・』報道していました。わたしはいい加減で数えていませんでしたが、このニュースをみて、被爆したクスノキが12本ということがわかりました。 |
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京橋川の向側の牛田に以前に住んでいたからこの並木道はなんとなく見ていたし、この道路(国道54号線)を車で通った時などそれとなくみていた風景でしたが、
2006年広島市の資料をみてここに被爆したクスノキが残されている事を知り撮影しこの頁を編集しました。 |
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2006(平成18)年7月国土交通省広島国道事務所でこれらクスノキの健全度調査が行われ、2007(平成19)年7月、2008(平成20)年7月の2度樹勢回復治療が行われたとニュースで知りました。 |
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2012年に安田学園側からも撮影していました。2014年のいまになりましたが、このクスノキを見学されるとき近くも散策されたらと付近の地図を掲載し、この頁を内容も見直し再編集しました。 |
2019年暮れに、新しい被爆樹木標識になった12本全部を撮影に行きました。(別編集-個々-で編集しました) |
20.02.06.更新 14.12.20.再編集 06.02.23裕記編集 |