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中区橋本町の京橋川右岸(上柳橋西詰南側)にある「被爆したシダレヤナギ」です。 |
(新しい標識) 被爆樹木 シダレヤナギ
A-bombed trees Weeping willow(Salix babylonica)
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爆心地から1,400m。ここで被爆しました。
幹の傷は被爆による傷痕と考えられます。 |
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※〔注意書きに〕『・・・樹齢が100年近くなっています。保存を考えています。』とあります。 |
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(以前の標識) 被爆樹木 シダレヤナギ
A-bombed tree Weeping willow
爆心地から1,400m
Approx.1,400m from the hypocenter |
このシダレヤナギは、1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐え、生き残りました。またこの附近に見られる河岸の石積みや雁木も被爆前からあるものです。 |
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(中國新聞、NHKなどの)報道でこのシダレヤナギが被爆樹木と知り撮影しました。
この地は最近まで知らなかった被爆エノキの近くで、おやじの墓がある源光院が対岸にあるという位置でした。
NHKニュースでこのシダレヤナギ(高さ≒8m、幹回り≒1.4m、樹齢≒80年)のことを語っておられた原時彦さん(被爆詩人原民喜のおいにあたるそうです)の元自宅(被爆当時町名:上柳町)のシダレヤナギだったそうです。
報道でこのシダレヤナギが被爆樹木と知り撮影しました。
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このシダレヤナギのことを原さんが広島市に連絡され、広島市が米軍撮影の原爆投下前後の航空写真と照合しこのシダレヤナギを確認し、被爆樹木と認定したそうです。 |
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2006年2月撮影時は落葉中でしたので改めて撮影に行ったとき5月、被爆樹木の標識が取り付いていました。
また対岸京橋町側から6月撮影しました、エノキとこのシダレヤナギとも元気のようでした。 |
2017年被爆樹木の標識が新しくなっているだろうと立ち寄りました。
いままでヤナギ本体に取り付けられていた(旧)標識でしたが、新しい標識は少し離れて設置されており、(下段画像のように)隣に触らないようにとの〔注意書き〕が貼りだされていました。
ヤナギの樹齢は100年くらいだと聞いたことがあり、既に“枯死した広電猿猴橋電停近くのシダレヤナギ”の例を出すまでもなく高齢のシダレヤナギですの大切にしなくてはと思わずにはおられません。 |
原民喜ゆかりの被爆柳
永遠のみどり 原民喜
ヒロシマのデルタに 若葉うづまけ
死と焔の記憶に よき祈よ こもれ
とはのみどりを とはのみどりを
ヒロシマのデルタに 青葉したたれ
広島市中区幟町の生家で被爆した作家・詩人原民喜(1905-1951)
彼は携えていた手帳にあの日の惨状を記し、小説「夏の花」等にその様子を著しました。ここにはかって彼の持ち家があり、被爆柳はその邸内に生えていました。
詩には、樹木の緑に託した平和の祈りが込められています。 |
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2018年横を通った時(2017年にはなかった)原民喜の説明板が設置されていましたので、撮影しました。
被爆したシダレヤナギも撮影したので、この頁を更新しました。 |
19.12.17.更新 17.06.09.再編集 06.03.01裕・記編集 |