(安田学園内)被爆樹木・ソメイヨシノ

  中区白島北町の安田学園にある「被爆サクラ」を取り上げています。
※この地は(現在安田学園になっていますが)戦前は工兵第五連隊のあった場所なのです。
※ここ安田学園には、ソメイヨシノとクロマツ5本の被爆樹木があります。
              被爆樹木 ソメイヨシノ
    A-bombed tree  Yoshino cherry (Cerasus x yedoensis 'Somei-yoshino'.)

              爆心地から2,110m
安田学園のソメイヨシノは老木ですが、大切にされ今も毎年美しい花を咲かせています。
移植されていない被爆樹木の多くに見られるように、この木も爆心地方向に傾いています。
*旧被爆樹木標識はサクラでしたが、広島市の新しい被爆樹木リストではソメイヨシノになっています。
(旧標識)被爆樹木 サクラ  A-bombed tree Cherry Blossom
爆心地から2,110m
Approx.2,110m from hypocenter
このサクラは、1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐え、生き残りました。
サクラの咲くにはチト早い時期でしたが撮影に行った日は卒業式の日のようでした。
資料によれば戦前はこの(被爆した複数の)松から松脂を採っていたというので、松の幹を見たのですがわたしの観察力ではその跡というものがよくわかりませんでした。
(2019年被爆マツは別頁に分離しました)
広島地方桜満開宣言がでた(2006年)4月6日立ち寄ってみました。被爆後61年をむかえる桜、満開のように思いました。
2015年被爆70年でしたので、学園を訪ね慰霊碑と被爆樹木の撮影許可を事務室でお願いしましたが、学校授業(行事)中は撮影許可を出さないと事務長に云われたので撮影はあきらめました。
(2006年当時の事務長には撮影をすぐに許可してもらいましたが。)
2018年被爆樹木標識が新しい標識に代わっていますので、(2015年のことがあったので)
学校冬休み中の12月に訪ね、事務所で撮影許可を得ようとしましたが、
事務長に「学校の都合がいい日時に限って撮影許可をだすのでいついつになるかはいまは応えれない。
きょうは撮影許可はできない」と云われ、「一般人の被爆樹木見学は迷惑だ」とまで云われました。
広島市民の財産であるはずの被爆樹木の撮影にこれほどの規則を設けているのかとガッカリしたのです。
事務所を出る時、校門外から撮影した画像です(ので)、近くから撮影できなかったのでこの被爆樹木サクラの新しい被爆樹木標識の画像はありません。
学校への無差別な事件等を見聞きする昨今は警備の重要さは理解できるというものの、
ただ、被爆樹木を撮影するだけなのに不規則な規則、ましてや「一般市民が来るのは迷惑だ」とまで云うのは、いかがなものかと憤慨の気持ちを抑えきれなかったのです。
(撮影に行って半年あまりも過ぎた2019年の今になっても)やはり抑えることはできず敢えてここに記述しました。
19.09.07.再編集     06.03.20裕・記編集

06.02.18撮影
広島市中区白島北町1-41 安田学園 (手前中央が被爆サクラ。校舎沿いが被爆マツ、手前右奥も被爆マツ)

06.02.18撮影

06.02.18撮影

06.02.18撮影
’爆心地方向に傾いていると聞く被爆サクラ)

06.04.06撮影
満開の被爆サクラをみようと4月6日訪ねました

06.04.06撮影

06.04.06撮影
8割が咲いていると満開と云われる桜、満開でした

06.04.06撮影

18.12.25.撮影
市平和推進課被爆体験継承担当者に尋ね、白い新しい被爆樹木標識も取り付けられているそうです

18.12.25.撮影
(この方向からは旧被爆樹木標識しか見えなかったのです)

18.12.25.撮影
被爆サクラ  と     (幹に白い被爆樹木標識がみえる)被爆クロマツ)



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