(安田学園内)被爆樹木・クロマツ

  中区白島北町の安田学園にある「被爆クロマツ」を取り上げています。
※この地は(現在安田学園になっていますが)戦前は工兵第五連隊のあった場所なのです。
※ここ安田学園には、ソメイヨシノとクロマツ5本の被爆樹木があります。 
              (新しい標識) 被爆樹木 クロマツ
      A-bombed tree  Japanese black pine (Pinus thunbergii)

              爆心地から2,110m
安田学園には、5本のクロマツは敷地内で被爆し、後に移植されました。
これらの幹にある傷は、戦時中航空機燃料にするために松ヤニ(松根油)を採取した跡と思われます。
*旧被爆樹木標識はマツでしたが、新しい被爆樹木標識ではクロマツになっています。
被爆樹木 マツ  A-bombed tree Japanese Black Pine
爆心地から2,110m
Approx.2,110m from hypocenter
このマツは、1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐え、生き残りました。
資料によれば戦前はこの(被爆した複数の)松から松脂を採っていたというので、松の幹をみて撮影したのですがわたしの観察力ではその跡かなとおもうもののよくわかりませんでした。
2015年被爆70年でしたので、学園を訪ね慰霊碑と被爆樹木の撮影許可を事務室でお願いしましたが、学校授業(行事)中は撮影許可を出さないと事務長に云われたので撮影はあきらめました。
(2006年当時の事務長には撮影をすぐに許可してもらいましたが。)
2018年被爆樹木標識が新しい標識に代わっていますので、(2015年のことがあったので)
学校冬休み中の12月に訪ね、事務所で撮影許可を得ようとしましたが、
事務長に「学校の都合がいい日時に限って撮影許可をだすのでいついつになるかはいまは応えられない。
きょうは撮影許可はできない」と云われ、
「一般人の被爆樹木見学は迷惑だ」とまで云われました。
広島市民の財産であるはずの被爆樹木の撮影にこれほどの規則を設けているのかとガッカリしたのです。
事務所を出る時、校門外から撮影した画像です(ので)、近くから撮影できなかったのです。
それは、近づき5本の被爆クロマツのそれぞれを撮影し、松根油を採取したという跡をもう少しみて撮影したかったのですが、できなかったので、2006年撮影画像を見直しました。
学校への無差別な事件等を見聞きする昨今は警備の重要さは理解できるというものの、
ただ、被爆樹木を撮影するだけなのに不規則な規則、ましてや「一般市民が見学(や撮影に)来るのは迷惑だ」とまで云うのは、いかがなものかと憤慨の気持ちを抑えきれなかったのです。
(撮影に行って半年あまりも過ぎた2019年の今になっても)やはり抑えることはできず敢えてここに記述しました。
19.09.07.再編集     06.03.20.裕・記編集

06.02.18撮影
広島市中区白島北町1-41 安田学園 (手前中央が被爆サクラ。校舎沿いが被爆マツ、手前右奥も被爆マツ)

06.02.18撮影

06.02.18撮影
被爆したマツの木たち

06.02.18撮影
旧被爆樹木標識

06.02.18撮影

06.02.18撮影

18.12.25.撮影
(向側校舎沿いが被爆クロマツ、手前が被爆ソメイヨシノ)

18.12.25.撮影
 (幹に新しい白色の被爆樹木標識がみえる)被爆クロマツ)

18.12.25.撮影

18.12.25.撮影
被爆サクラ  と     (幹に白い被爆樹木標識がみえる)被爆クロマツ



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