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西区三篠町にある三篠小学校校庭に移植されている「(被爆した)クスノキ」です。
※もともとは、三篠本町の日本電気計器検定所(現在はフジ三篠店)の北側の民家で被爆しました。 |
(新しい標識) 被爆樹木 クスノキ
A-bombed Trees Camphor tree (Cinnamomum camphora)
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爆心地から1,850m
離れた民家で被爆し、後〔民家の場所が道路が造られる事になり1954(昭和29)年に現在の場所〕ここへ移植されました。 |
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ひばくじゅ木 クスノキ A-bombed tree Camphor tree
ばく心地から1,850m Approx.1,850m from the hypocenter |
三篠国民学校は、1945(昭和20)年8月6日の原爆により木ぞう校しゃがとうかいし、その後の類焼により校舎が全焼しました。焼けあとには、鉄骨だけになった講堂の残がいが取り残されました。 |
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このクスノキは三篠本町一丁目の日本電気計器検定所の北側でひばくしたもので、戦後移植されました。 |
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被爆樹木クスノキ 爆心地から1,850m
三篠国民学校は、1945(昭和20)年8月6日の原爆により、木造校舎が倒壊し、その後の類焼により校舎が全焼しました。焼け跡には、鉄骨だけになった講堂の残骸が取り残されました。
このクスノキは、三篠本町一丁目の日本電気計器検定所の北側、中田さん方で被爆したものです。道路の拡張工事のため、1954(昭和29)年移植されました。
クスノキ保護工事 平成18(2006)年度三篠小学校RTA |
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ここ三篠小学校の近くの三篠神社の境内に被爆樹木があり以前交流ウォークのとき撮影していたのですが、ここ三篠小学校の被爆したクスノキ(日本電気計器検定所の北側にあったものを戦後移植したもの)が(広島市市民局国際平和推進部作成の被爆樹木リストにある被爆樹木で)あるのです。
被爆樹木を訪ねているわたしには、最後に訪ねた被爆樹木でした。
※被爆建物・日本電気計器検定所は2011年に解体され、その跡地は後に(スーパー)フジ三篠店が開店。 |
いつものようにインターフォンで用件を伝え校内にと思いボタンを押したのですが、下校時だったので先生方忙しかったのでしょう出てこられませんでしたので、下校していた児童に職員室は何処かと訪ねたところ近くまで案内してくれました(わたしが不審者のおじさんには見えなかったのかなとチトうれしく、ありがとうと云ったのですが)子どもが本来持っている親切心を育てることがなかなか難しい時代になってきたことを思いました。
知らない人とはしゃべらないのが鉄則になりつつある世の中を悲しみつつ、蛇足ながらここに記述しました。 |
三篠公民館の傍が三篠小学校ですので、この頁を編集してからも(三篠公民館主催の交流ウォークに何度か参加させていただき)校外からこの被爆したクスノキをみていましたが、2007年12月校門の外から撮影しました、元気なようでした。 |
2015年校外からこの被爆したクスノキをみました。遠くからですが元気そうでした。
新しい白色の被爆樹木標識になっていることがわかりました。近くから白色標識を撮影していませんが、画像を加えました。 |
2020年撮影許可を得るため事務室に行ました。教頭先生から児童が写り込まない構図で撮影するようにとの趣旨での注意がありました。その後、わたしから市の被爆樹木リストから現在削除されている“コウバイ”“ツバキ”の経緯について尋ねましたが、この年赴任したばかりとのことで、その2つの被爆j樹木についてはわからないということでした。
撮影許可がおり撮影しましたので、この頁を更新しました。 |
21.05.31.更新 06.03.21裕・記編集 |