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西区福島町の福島生協病院に建立されている「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会・第七号碑」です。
※南側に建立されていましたが、改増築に伴い東側に移設されています。 |
2005(平成17)年1月29日除幕式が行われ、この近くに住む被爆画家・金崎是さんの代表作「ピカドン」の陶板画が設置され、同(2005)年8月6日残りの陶板画が設置されたそうです。
除幕式の挨拶で金崎是さんは被爆当日の悲惨な様子を最近の出来事のように切々と語られ「・・・・今日こうしてつたない絵が残され、多くの人の情念がこもったと思います。こういう形で絵が生かされて言葉にならないほど感激しています。核廃絶への一翼となったものと思います。」と話されたそうです。 |
『あの日をみつめてください きのうを忘れては、あしたは見えない 昭和20(1945)年8月6日の朝、この場所で何が起こったか。写真の一枚もなく、ああ、どんどん忘れられていく。 どうか、目をそらさないでみてください・・・・・・』 |
碑が設置されている場所がわからず、福島生協病院受付で教えていただきました。設置場所が少しわかりつらく、駐車場建物前面の一角に設置されていました。この附近でも陶板画にあるような悲惨な光景があの日に起こったのかとおもい陶板画を拝見しました。 |
2007年3月訪ねた時、遠くからわかるようにとの配慮でしょう、立型説明板が設置されていました。 |
2013年暮れになって病院増築工事でいままであった「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会の7号碑」が移設される事になった事を病院関係者の方に教えていただいたのです。
2014年暮れ、病院東側(広島市西消防署道路を挟んで向側)に移設されている処を撮影しました。2015年にいまになりましたが、(絵碑は変ってはいませんが)頁の構成などを再編集しました。 |
15.08.15.再編集 05.12.31裕・記編集 |