「市民が描いた原爆の絵」展

  2014年度から平和記念資料館・東館の改修工事に着手したということからでしょう、この「市民が描いた原爆の絵」展示があった「展示室」が閉鎖になっており、「市民が描いた原爆の絵」展は催されていません。
東館は、2015(平成27)年度まで改修工事が予定されています。(ので、それまでは催されないのでしょう?)

*改修工事以来開催されていません。
広島平和記念資料館は、50円(大人)の入場料が必要ですが、同じ広島平和記念資料館(東館)地下1階・展示室(3)で『市民が描いた原爆の絵』をある期間テーマを決めてだいたい通年催されています(こちらは無料です)。
こちらの入場者は、わたしが見学に行ったときはほとんどが僅かな人しか見ておられません、「戦争という過ちを二度と繰り返さないとの言葉をこれからも忘れないため」に多くの方々にぜひ見ていただきたいと思うのでこの頁を編集しています。
1974(昭和49)年からNHK広島放送局が呼びかけ3000枚を超える原爆の絵が集まっているそうです。なお、2003(平成15)年1月(右画像の)『原爆の絵・ヒロシマの記憶』という本がNHK出版から(本体価格1200円で)発行されています。
原爆の絵はわたしのHPでは著作権の問題などで紹介できませんが、街角に建立された「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」の碑を撮影した中で何枚か紹介しています。
時間をつくり、御自身の目で見て考えられたらと思いますので「市民が描いた原爆の絵の企画展」があるということだけしかこの頁では紹介していません。
2014年7月17日新しいテーマの「市民が描いた原爆の絵」展になっているのだろうと平和記念資料館東館地下1階に行ってみたのです。どちらの展示室も閉鎖されており「市民が描いた原爆の絵」展は無くなっていました。
ホール壁に、漫画家・こうの史代さん原作の「この世界の片隅に」の複製原画展(35枚)が8月31日まで催されていました。
14.07.20.更新   02.06.02裕・記編集
  関連資料:広島平和記念資料館の平和データーベース・原爆の絵で見ることができます。
2014年
  2014年7月立ち寄った時、ここ平和記念資料館・東館の改修工事がはじまり、2015(平成27)年度まで予定されていますので「市民が描いた原爆の絵」は6月15日をもって終わり、新しいテーマでは催されていませんでした。
NET環境にある方は、広島平和記念資料館の
平和データーベース・原爆の絵で見る事が出来ます。しかし、実物の絵をみるのとはやはり違うように(わたしは)思いますが。
14.07.20.裕・記編集

13.07.18.撮影
こうの史代さん原作の「この世界の片隅に」の複製原画展
2014(平成26)年7月17日〜8月31日
「市民が描いた原爆の絵」の展示室は
閉鎖になっています
2013年
  2013年6月立寄ったときは展示は変わっていませんでした。
7月18日立ち寄るといままで「市民が描いた原爆の絵」は展示室(3)だけで催されていましたが、今(2013)年は、展示室(3)は昨年までの『炎の中に閉じ込められて 』が続いて展示され、それとは別に同じフロアーの展示室(4)の半分で市民が描いた原爆の絵『ピカに遭った人々』が催されていました。残り半分は今までこの展示室全部で展示されていた『新着資料展』が催されています。
3.07.19.裕・記編集
(ぴかどん)
ピカドン:
[「ぴか」は閃光を、「どん」は爆発音を表す]
原子爆弾のこと。広島で被爆した当時に云われ始めた語(言葉)。単に「ピカ」とも云う。

13.07.18.撮影
2013年催されている市民が描いた原爆の絵『ピカに遭った人々』 
期間:2013(平成25)年6月21日(金)〜2014(平成26)年6月15日(日)
2012年(2013年も延長されています)
  2012年11月になってラジオニュースを聞いていたら、ここ平和記念資料館東館の“市民が描いた原爆の絵”の展示内容が変ったと云っていましたので、平和記念公園に行った時にみようと思っていたのです。今回のテーマは『炎の中に閉じ込められて 』でした。広島平和記念資料館(東館)地下1階は普段、見学の人は少ないのですが、11月10日は土曜日で、展示室外の壁に“第19回日本平和博物館会議”に合わせて会議に加盟している10館に関するパネルが展示されているからか見学者が複数人いました。2013年6月までとなっていましたが、期間を延長したようで、終了日がなくなっていました。
13.07.19.追記   12.11.13.裕・記

12.11.10.撮影
2012年催されている市民が描いた原爆の絵『炎の中に閉じ込められて 』 
期間:2012(平成24)年10月26日〜2013(平成25)年6月
2013年6月以降もこの『炎の中に閉じ込められて 』は展示延長になったようでした。
新しい企画・市民が描いた原爆の絵『ピカに遭った人々 』は、同じフロアーの展示室(4)で催されて(展示されて)いました。
2011年
  2011年11月になって展示替えになっているのではと立寄ってみました。
今回のテーマは『助けて!  Heip! 』では、-原爆被災直後の救援救護-と副題がついていました。
広島平和記念資料館(東館)地下1階は普段、見学の人は少ないのですが、11月2日もわずかな人でした。その中で、修学旅行の観光バスのガイド嬢が目についた程度でした。
11.11.07裕・記

11.11.02.撮影
2011年催されている市民が描いた原爆の絵『助けて!  Heip! 』 
期間:2011(平成23)年10月21日〜2012(平成24)年10月
2010年
  2010年12月になって展示替えになっているはずと立寄ってみました。
今回は『黒い雨』を取り上げていました。近年の調査研究で従来云われていた範囲よりも広範囲に黒い雨が降った事がわかってきていると新聞報道などで見聞きします。
黒い雨:
(Black Rain)
原爆で巻き上げられた灰やちりが上空で水分と結合して雨になり、地上に降り注いだ現象。
広島では原爆爆発後20分くらいから黒い雨が降ったそうです。
国は、爆心地から北西に向かって南北29km、東西15kmの楕円区域内で雨が降ったとし、このうち南北19km、東西11kmの円内を1時間以上降り続いた「大雨地域」としその地域の住民は公費で健康診断が受けられ、癌などになれば被爆者健康手帳を取得できるとしています。
10.12.16裕・記

10.12.13.撮影
2010年催されている市民が描いた原爆の絵『黒い雨』-原爆被災直後の救援救護- 
期間:2010(平成22)年10月23日〜2011(平成23)年10月
2009年
  2009年12月になって展示替えになっているはずと立ち寄ってみました。
被爆して亡くなっていった多くの人が水を求め亡くなっていったと・・・水に関連した絵が今回、展示してありました。
‘被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会’が建立した8号碑・歯科医師会館(原広司さんが描いた絵)も展示の絵の中にありました。第二総軍司令部の建物で被爆したお袋は、絵は描いてはいませんが、被爆体験記の中で、東練兵場に避難してきた被爆者の方々に水を下さいと云われたことを記していました。
09.12.23裕・記

09.12.21.撮影
2009年催されている市民が描いた原爆の絵『水ヲクダサイ』 
期間:2009(平成21)年10月23日〜2010(平成22)年10月
2008年

08.12.04.撮影
2008年催されている市民が描いた原爆の絵『描かれた動員学徒』 
期間:2008(平成20)年11月7日〜2009(平成21)年10月
2007年

07.08.04.撮影
現在催されている市民が描いた原爆の絵『惨状の中で-生と死をみつめて』 期間:2008(平成20)年7月まで2007(平成19)年7月11日から新しい企画になっています。
☆当初は2008年7月まででしたが、2008年11月まで期間延長されたようです。
2006年

07.06.11.撮影
2007年催されている市民が描いた原爆の絵『あの夏の記憶-子どもの叫び』 
期間:2007(平成19)年7月まで
広島赤十字・原爆病院に建立の「被爆者が描いた絵を街角に返す会」第9号碑:河野きよみさんが描かれた絵も展示されていました。
2005年

06.04.15.撮影
2006年催された市民が描いた原爆の絵『奪われた家族のきずな』 
期間:2006(平成18)年7月まで
2003年

02.03.30.撮影
2002年催された市民が描いた原爆の絵『ヒロシマ-時空を超え継承し、そして警鐘する』 
期間:平成14年7月中旬まで



市民が描いた原爆の絵展など・全体



広島ぶらり散歩
広島平和記念資料館・東館


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