(旧・宇品陸軍糧秣支廠)被爆した鉄骨
  南区宇品御幸の広島市郷土資料館館内で見学できる「(旧・宇品陸軍糧秣支廠)被爆した鉄骨」です。
現在の南区宇品御幸に建てられ1945(昭和20)年8月6日被爆した「宇品陸軍糧秣支廠の小屋組み鉄骨の一部」がいまも遺されています。
         被爆して(曲った)鉄骨
  原爆の爆風で曲った(小屋組トラスの上弦材)鉄骨の一部を天井に保存しています。
この上の屋根を支えている鉄骨は、1911(明治44)年この建物が建てられた当時のものです。
1945(昭和20)年8月6日(月)米軍投下の原子爆弾による爆風の為、北側屋根の鉄骨が全て同じ部位で下向きに折れ曲がりました。
この場所は爆心地から南南東約3.2kmにあり、最大風速およそ28m/秒、最大爆風圧およそ1.2トン/uを受けたものと推定されています。
  缶詰工場
竣工時期 1911(明治44)年3月
爆心地から   ≒3210m
構造など 鉄骨レンガ造、 平屋建
現住所 南区宇品御幸町2-6-20
1897(明治30)年3月宇品海岸通りに陸軍中央糧秣廠宇品支廠が創設されました。
1902(明治35)年陸軍糧秣廠宇品支廠と改称、1906(明治39)年宇品御幸通り西側に移転するための用地が確保され、倉庫・糧米所などの建設と合せて1911(明治44)年3月レンガ造の缶詰工場が建設され6月開設しました。
工場には断肉場、煮肉場、製缶場、製品室などを備え最盛期には3,500人の従業員が働いていましたが、戦争末期には他支廠への配置替えや疎開などで規模を縮小しており、被爆時に農作業に動員された学徒などもいましたが人的被害は軽微であり、建物は爆風で窓の硝子を割り、屋根の鉄骨を曲げさせたるほどの力が加わりましたが被害も軽く、市内の被爆者救援にむかった陸軍暁部隊が多くの重傷者を支廠内に収容したそうです。

戦後、缶詰工場を広島糧工が借り受け1977(昭和52)年まで操業していました。その後放置されていましたが、1984(昭和59)年から一部を保存再生工事を施し1985(昭和60)年5月広島市郷土資料館として開館しました。
2014年「(被爆した建物)旧宇品陸軍糧秣支廠」の頁を編集して10年ほど過ぎましたので記述を見直し、掲載画像も取替えて再編集していました。
その時、内部の被爆して曲った小屋組トラスの鉄骨も撮影していましたが、頁を編集しているものと勘違いしていたことがわかり、いまになりましたが、この頁を編集しました。
 14.08.15.裕・記編集

05.11.19.撮影
広島市南区宇品御幸2丁目6-20

05.11.19.撮影
上(屋根面)からの力で鉄骨が曲がった処がわかります



被爆した建物・構築物」編



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旧・宇品陸軍糧秣支廠
  (宇品陸軍糧秣支廠)被爆した鉄骨


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