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東区二葉の里に残されている"“騎兵第五連隊関連碑”のうち「陣歿 軍人・軍馬追悼之碑」を取り上げました。
この地が、二葉の里土地区画整理事業で更地になり劇的に周りの風景が変わってきています。
2014年みると、関連各碑自体に変わりはないようですが、木立に囲まれていた碑周りが改築され、誰もが目にすることができるようになっています。 |
表面: |
陸軍中將 鈴木荘六 書
陣歿 軍人・軍馬 追悼之碑 |
裏面: |
騎兵第五聯隊創立以来各戰役ニ於ケル 戰病歿軍馬ヲ追悼スルノ餘リ西伯利出征 凱旋ノ秋建之
大正九(1920)年十一月十八日 騎兵第五聯隊将卒一同 |
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※西伯利(亞)=西比利亜=Siberia シベリア |
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シベリア出兵 |
1918(大正7)年ロシア革命干渉のため、日・米・英・仏・伊がチェコスロバキア軍救援を名目としてシベリアに出兵した事件。1920(大正9)年の連合国軍撤兵後も日本軍は駐留し、尼港(にこう)事件が起きた。内外の非難の中で1922(大正11)年撤兵。
日本は、兵力7万3千人と(当時)数億円の戦費を投入、日本軍の死者は3千人以上だったそうです。 |
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鈴木 荘六(すずき そうろく:1865-1940) |
陸軍軍人。越後(新潟県)出身。陸軍教導団卒、陸軍大学校(12期)卒。
日清戦争、日露戦争に従軍。1918(大正7)年 陸軍中将。1919(大正8)年第五師団長。1920(大正9)年3月第五師団率い露・東シベリア南部チタ方面に出動。1920(大正9)年11月戦功により勲一等旭日大綬章、功二級金鵄勲章。第四師団長。1923(大正12)年台湾軍司令官。1924(大正13)年陸軍大将、朝鮮軍司令官。1926(大正15)年参謀総長。のち帝国在郷軍人会会長。 |
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2005年末から広島駅裏の旧国鉄(現JR)の用地であったところが劇的に更地になって来たのです。
この碑があった場所は以前はわかりつらかったのですが、今は空地の中にぽつんと緑に包まれ残っています。 |
2014年騎兵第5連隊跡の頁を再編集しましたので、この「陣歿・軍人軍馬追悼之碑」の頁も、画像を一新し、碑建立時第5師団長だった鈴木荘六(当時)陸軍中将の略歴も調べ掲載しました。 |
この「陣没 軍人軍馬追悼之碑」自体に変わりはありませんが、碑の裏側からも自由に見ることができるようになり、何よりここ騎兵第五連隊碑の回りが土地区画整理で整備されましたので、2014年、2016年に撮影しました。画像を加え頁を更新しました。 |
16.12.07.更新 14.08.16再編集 06.04.19.裕記編集 |