旧・広島陸軍幼年学校炊事室 (消滅)

  中区東白島の現:日本郵政公社中国支社附属倉庫として利用されている「旧・広島陸軍幼年学校炊事室」です。
※平成18(2006)年度に解体され消滅してしまいました。
被爆建物 A-bombed Building    被爆時の名称:陸軍幼年学校炊事室
爆心地から≒1340m
この建物は1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐え、その姿を今日に残しています。
広島市
1940(昭和15)年竣工鉄筋コンクリート造平屋145u(被爆時当時町名:基町)のこの炊事室の後ろにあった大煙突は1975(昭和50)年に解体され現存していません。
また現在雨よけとして南側に取り付けられているスレートの屋根は戦後取り付けられたものです。
資料でこの建物が残っている事は知っていましたが、郵政関連慰霊碑、資料室などの撮影には訪れた事は何度かありますが、この幼年学校の炊事室を訪ねたのは今(2006年)回がはじめてで、広島市設置の被爆建物の説明板が取り付けられ、(郵政公社受付によると)内部は見学できないという事でしたが、外観は自由に撮影可でした。
2006(平成18)年11月14日中國新聞の報道では「郵政公社の民営化を控え解体が12月中にも行われる」
『この建物は、国有地に建っており中国財務局が契約解消の条件として更地を条件とした事と炊事場だったが「度重なる改修により被爆の痕跡がほとんど残されていない」事を理由に、日本郵政公社・中四国ネットワークセンターが解体やむなしと判断した。』そうです。
新年度になるまでに解体されるのだろうと思っていましたが、2007年4月4日立ち寄ってみました。
すでに更地になっており、被爆建物:広島陸軍幼年学校炊事室に関する残り香は何もありませんでしたが撮影しました。
07.04.07更新   06.10.11.裕・記編集

06.09.15.撮影
広島市中区東白島19-8 (現:日本郵政公社中国支社附属倉庫)

06.09.15.撮影
現在チラシ類や廃棄物の一時保管場所として利用されているそうです

06.09.15.撮影

06.09.15.撮影

07.04.04.撮影
建物はありませんでしたが、2006年9月撮影した時とだいたい同じ位置かなと思うところで撮影しました。



被爆した建物・構築物」編



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