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中区小網町・堺町と西区観音町・天満町間の天満川に架かる|広島電鉄天満橋」です。
※広島電鉄(略称:広電)の専用鉄道橋ではありますが、両側に歩道が設置されています。
※1969(昭和44)年11月竣工の2径間のPC桁橋です。
※2013(平成25)年8月側壁天端保護・側壁、床版の補修工事が行われています。 |
現在の広島電鉄天満橋は、橋名板では「広電天満橋」とあり、竣工プレート*では[天満橋]と標記しています。(当初架橋され被爆した“天満町電車専用橋”には歩道部分はありませんでした)。 |
設 計: |
広島電鉄株式会社 |
施 行: |
上部工 極東工業株式会社
下部工 山陽工業株式会社 |
設計荷重: |
600屯 |
しゅん功: |
昭和44年11月 |
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当初(被爆当時の)天満町電車専用橋は、1912(大正元)年11月竣工した鉄橋でした。
1945年8月6日原爆による損傷はあったものの被災者の避難路となったそうです。
爆心地から≒1,050m
同(昭和20)年10月の洪水で流失したそうです。 |
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おじさんの原爆記の関連資料として訪ねたこの広電天満橋ですが、
既に昭和44(1969)年に架けかえられていますので当時の面影はありませんし、天満川護岸も戦後整備されているようです。
この橋の西詰南側には、この辺りの建物疎開に動員されていた(次男の)八束嘉孝さんが当時通学していた広島市立中学校の原爆死没者慰霊碑が建立されています。
※(堤防整備工事で)2017年10月基町高校に移設されました。 |
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2003年おじさんの原爆記の資料としてこの広電天満橋を撮影してこの頁を編集しました。 |
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「原爆記No11」おじさんと(長男)嘉光さんが、建物疎開中不明になった(次男)嘉孝さんの上衣を見つけた電車橋とはこの天満橋でした。
わたしは原爆記を読んだ時、相生橋の事かと思っていましたが、八束嘉光さん本人に7月27日伺い、撮影に来たのです、資料も訂正しました。 |
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その後広島ぶらり散歩「広島の橋」編として、2005年、2008年撮影して頁を更新しました。
2017年下流側の緑大橋からおの広電天満橋を撮影していましたので、この頁を更新しました。
2020年まだコロナが流行を広げる前に、補修板などを撮影していましたのでこの頁を更新しました。 |
21.0109.更新 03.08.02裕・記編集 |